2001年、欧州7か国の美術館でせっせと盗みを働いた31歳の男が
悪運が尽きてフランスで逮捕されました。
しかし、男が盗んだ貴重な美術品の数々(時価、2,320億円分)は、
男の57歳の母親が証拠隠滅のために運河に捨ててしまっていた。
私の素人考えでは、文化遺産や美術品等を盗む行為は、
ルパン三世やピンクパンサーのように
アニメや映画の世界では面白いターゲットとなりますが、
現実の世界では、盗んだものを現金化する際に、
最上級に困難なものの一つと思えるので
賢い選択ではないように思えるのですがどうなんでしょうね。
もしかしたら、現金化することが目的ではなく、
盗んだ総価値の分だけ自分の価値も上がると感じていたのかもしれませんし、
美術品マニアで、多くの美術品に囲まれて過ごしたかったのかもしれません。
昔、昔、日本で起きた三億円事件の犯人が、
その事件後、その姿を社会に完全に溶け込ませたこともありますが、
大抵の犯人は、もう一回、もう一回だけと犯行を繰り返してしまうことで
下着泥棒が最後に捕まるのと同じ結末が待っているのが普通です。
上のフランスの美術品盗難の犯人として自分の息子が逮捕された際に、
犯人の母親が息子を助けようとして
証拠隠滅を図ったことは目も当てられません。
この母親の行動は、一見、我が子に対する限りない母親の愛情が
示されたようにも思えますが、このような母親の行動は、
犯人である息子に対して、「あなたは犠牲者(被害者)なのよ。」との
間違ったメッセージを送ることになります。
その結果、犯人である息子が正しい道へと戻ることを
邪魔することになるかもしれません。
「犠牲者と救済者と悪者の関係」
犠牲者の椅子にどっぷりと腰を下ろした人物は、
自分に降りかかる不幸は、他人や社会や運命の所為だとして、
自分の感情や行動に責任を取らなくなります。
世間は、自分を見下している。冷たい。として、
それを信じて、それを無理にでも信じて、あるいは盾にして、
自分は可哀そうな犠牲者だと考えるようになります。
犠牲者の椅子から自分や周りを見て、
自分は何て不幸で可哀そうな人間だとして嘆き悲しみ憐れみ、
原因となる対象者を勝手に認定し擁護を求めます。
あるいは、
自分を不幸にしている対象を探して攻撃します。
犠牲者の椅子にどっぷりと座った人は、
そんな自分の不幸の責任を取ってくれる人や理屈を常に探し、
また、自分を責める人や対象を探し、
罪悪感や後ろめたさや責めを使って他人を操ろうとします。
ターゲットにされた誰かが、犠牲者からの責めの圧力に屈して、
それを受け入れた時に、その罪を償おうとして動くようになります。
(誰しもが悪者にされるよりも救済者の立場を取ろうとしがちです。)
犯人の母親がとった行動は、犯人の息子を犠牲者の椅子に座らせる
間違ったメッセージとなり得るものなのですが、
何年も前から犠牲者の椅子に座る息子と、
罪を背負わされた母親と言う関係が構築されていた可能性もあります。
本当に息子を愛する母親としてのメッセージは、
犠牲者の椅子から立ち上がらせて、
自分がしたことを自覚させ、その責任を取ることを促すことです。
悪者とレッテル張りをされることに恐れず、
ひるまず立ち向かうことが大切であって、
そうでなければ、犠牲者の旗を掲げる者に
延々とコントロールされ続けることになるのです。
夏季休暇 満喫中。