日本の皇族の女子が一般の男性と結婚することは、
昭和天皇の第一皇女であった清子内親王が、
東京都職員であった黒田慶樹さんとご結婚されたように
基本的に、問題なく認められているのは周知のとおりです。
記憶に新しい所では、
出雲大社権宮司・千家国麿氏と典子女王との御結婚、
日本郵船に勤めている守屋慧さんと絢子女王との御結婚があります。
現在、眞子内親王と一般人の小室圭さんとのご結婚について、
これまで耳にすることが無かったゴタゴタが起きているようなので
小室さん側に何らかの問題があるのでしょう。
海外では、皇族や王族以外の男性と皇女や女王が
結婚することが固く認められない国もあるようです。
サウジアラビアの19歳の王女が既婚者でありながら
平民の男性と恋に落ちたのですが、
それは決して許されない厳しい戒律を破ることになります。
二人は、駆け落ちをするために
海岸に服を残して水死に見せかける工作をして、
王女は男装をして空港から海外へと逃亡するところを
男性と共に逮捕され、
1977年、二人は公開で、男性は斬首刑。
王女は、銃殺刑に処されたようです。
「世界中が敵になっても私は最後まで味方!
二人の気持ちは誰であろうとも引き裂くことは出来ない!」
何かの歌で歌われていそうな文句ですが、
命を危険にしても突き進んでしまうほど
私達の感情は、私達の気持ちや行動に影響を与えます。
恋愛ではありませんが、極楽とんぼの加藤氏もテレビの番組で、
つい勢い余ってではなく覚悟を持った発言だとは思いますが、
自分が所属する吉本興業の会長と社長に対して退陣を迫るという
一般の企業ではあり得ない強烈な発言をしたのも、
感情に思考や行動が影響を受けたものです。
「おう我、吐いた唾は飲まれえへんでえ!」とはならずに、
ここは吉本興業の会長と社長の懐の広さを
何卒見せてもらいたいと思っています。
さてですが、
このサウジアラビアの悲恋の話を目にした時に、
私の一番好きな映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の中で、
主人公のトトが一人の女性に恋をした時に、
父親のように親しくしていた映画技師アルフレードがトトに語った
王女と兵士の物語を思い出します。
王女と兵士の物語
昔、ある王様がパーティーを開き、
国中の美しい女性が集まった。
護衛の兵士が目の前を通る王女を見て、
あまりの美しさに恋に落ちた。
しかし、王女と兵士では身分が違い過ぎる。
でも護衛の兵士は王女に話しかけ、
「王女なしでは生きていけない。」と言った。
王女は、兵士の深い想いに驚いて告げた。
「100日間、昼も夜も
私のバルコニーの下で待っていてくれたら
私はあなたのものになります。」
兵士は躊躇することなくバルコニーの下へと向かい、
2日、10日、20日と日は過ぎた。
毎晩、王女は窓から見たが兵士は動かない。
雨の日も風の日も、雪が降っても、鳥が糞を落としても
蜂が刺しても兵士は動かなかった。
90日が過ぎた頃には、
兵士は干からびて真っ白になっていた。
眼からは涙が滴り落ちた。
眠る気力すらなくなった。
王女は、ずっと見守っていた。
99日目の夜、兵士は立ち上がり、
椅子を持って、そこから立ち去った。
映画の中では、
この物語を聞いたトトがアルフレードに尋ねます。
「最後の日に?」
「そうだ。最後の日にだ。」
「どうして?」
「わしにも分からんよ。分かったら教えてくれ。」
映画の中では、この兵士が何故そのような行動をとったのかが、
その答えが語られてはいません。
王女と兵士の物語は、主人公のトトだけに向けられたものではなく、
映画を観た人への問い掛けでもあるように思います。
そして、王女と兵士の物語を文字で読むだけよりも
実際の映画を観て、映画全体の中の一場面でしかない?
いや、この物語にこそ、
この映画で問い掛けたいものなのかも知れませんが、
この物語に深く惹きつけられた多くの人によって
色々な答えが語られているようです。
そして、浮かんだ自分の答えを通して、
新たな自分の一面を知ることが出来るかも知れません。
Ennio Morricone - Cinema Paradiso (In Concerto - Venezia 10.11.07)
夏季休暇 満喫中。