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女性マーケターから見た日々の出来事

オリンピック2題-柔道とジイジの星・法華津選手-

2008-04-08 19:38:15 | スポーツ
週末北京オリンピック出場をかけた、平成20年全日本選抜柔道体重別選手権大会が行われていた。
この試合の結果で、北京オリンピックの出場が決まるというのだが、その結果には疑問の残るところがあった。
一つは、女子48kg級。
優勝したのは、谷亮子選手を破った山岸絵里選手。
しかし、山岸選手はオリンピック代表には選ばれず、敗れた谷選手が代表に選ばれた。
実績を買われて谷選手ということのようなのだが、とすれば・・・と思う、選手がいる。
それが、男子60㎏級の野村忠宏選手だ。
確かに準決勝で負けてはいる(谷選手は、決勝で負けている)が、これまでの実績という点では谷選手以上の成績と内容を残している。
だが、どちらも負けであることには変わりはない。
とすれば、選考基準に疑問を感じてしまうのだ。
もちろん、柔道というスポーツをよく理解していないという点があるとは思う。
といっても、このような疑問を持っているスポーツファン、オリンピックファンは多いのではないだろうか?
そして、日本柔道連盟自体も谷亮子選手依存体質から脱却しなくては、女子柔道の振興にはならないように感じるのだ。

この柔道オリンピック代表が発表される大分前、馬術競技の出場選手が発表されている。
その中で話題となっている選手が、44年前の東京オリンピックに出場し、44年ぶりに選出された法華津(ほけつ)選手だ。
またの名を「爺の星」と呼ばれているらしい。
(このことは、アメリカの経済紙「Wall Street Journal」にも紹介されている。動画もアリ)
「爺」というには、失礼な気がするくらいダンディーな方だ。
ということで、拙ブログでは勝手に「ジイジの星」とさせていただく。
最高齢ということもあるのだが、今日の記者会見でのコメントに、多くの人は共感と勇気をもらったのではないだろうか?
特に、76歳という年齢を経ても、まだまだ成長しつづける自分を感じられるという意味の言葉には、年齢や性別を超えた人生のエールのようにも聞こえる。

なんとなくスッキリしない柔道の選手選考に対して、年齢を経ても尚上手くなる努力をするジイジの姿は、対極にある姿のようにも思えるのだ。


一枚の写真が伝えるもの

2008-04-08 12:44:24 | 徒然
今日の新聞各紙、各ニュースでピューリッツア賞にビルマ(あえて「ミャンマー」とは表記しません)騒乱取材中銃撃された瞬間の長井さんが「報道部門」で受賞している。

ピューリッツア賞といえば、幾つか記憶に残る写真がある。
私と同世代ならば、澤田教一さんが撮られた「安全への逃避」だろう。
ベトナム戦争が激化する中、逃げ惑う人たちをとらえた報道写真だ。
私が高校生の頃、世界史の教科書などに使われていた(現在は、分からない)。

「ベトナム戦争」は、報道写真がその力を遺憾なく発揮した戦争だったかも知れない。
今のような小型ビデオカメラなどが無い時代、その現場をリアルに空気感すらも捕らえるその写真は、その場にいること無い私たちにまで強い印象を与えたように思う。
報道写真=戦争ではない。
写真はその場にある現実を冷静に、伝えているだけだ。
だからこそ、伝わる何かがあるのかもしれない。

日本時間の昨夜パリで行われた、北京オリンピックの聖火リレーは史上初の中止となってしまった。
その前日に行われたロンドンでも、各所で騒動が起きた。
その理由は、改めて述べる必要は無いだろう。

中国がチベットの人たちやダライ・ラマ14世を批難すればするだけ、世界は中国政府の態度に疑問を投げかけ、行動として意志を現すようになってきた。
それらを誘引させたのもまた、動乱に遭遇したチベット旅行者たちが公表した、数枚の写真だった。
中国が声高に、自分たちの正当性を言えば言うほど、人権問題に関心の高い国の人たちは、「違う!!」と行動を起こしているのだ。
そして、中国政府が言う「チベットの過激分子」と名指しする人たちの多くは、チベットの人たちではなく、人権問題意識の高いパリやロンドンの人たちであるという事実と、その指摘の間違いも浮かび上がらせている。

長井さんが銃撃された写真もまた、(現政府名である)ミャンマーの本当の姿を写しだした写真でもあったのだ。
一枚の写真が伝えるもの、それは社会体制とは関係なくその真実を静かに伝えている。