日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

マーケティングのある場所

2008-04-12 14:35:44 | アラカルト
時折、イロイロな方とお話をさせていただいて驚く事がある。
それが、「マーケティング=お金儲けの手法」だと考えておられる方が、今だに意外にも多いということだ。
確かに、「マーケティング」は企業利益を出すための「事業戦略」だったり、「経営戦略」、「販売戦略」などを含んだ仕事ではある。
そのために生活者の意識調査をしたり、ニーズを掘り起こすことやアピールするための、広告活動があるのだ。

だが「お金さえ儲かれば良い」というわけではない。
「お金さえ儲かれば良い」という発想は、守銭奴と同じだ。
マーケティングとは、生活者に対して提供するモノ・コトによって、「しあわせ感」を提供しなくてはいけないと考えるのだ。
(その意味もあり、拙ブログの管理名は「Happy-kernel=しあわせの種」としているのである。)

ところが最近「自分のしあわせのために、他の人を犠牲にする社会になりつつある」ように、感じるコトが多いのだ。
「わがままになってきた」というだけではない、人・モノ・コトに対して鈍感になってきているように感じるのである。
感性的な劣化が激しいと感じる、といと言った方が良いのかもしれない。
それを象徴しているのが、今の政治であったり官僚的発想による制度改悪だろう。

その一つは「成果主義」という名の、数値評価なのではないだろうか。
「売上数字」という、分かりやすいコトだけを見て人を評価してしまう社会というのは、チャップリンの「モダンタイムス」と同じなのではないだろうか?
その様な社会にならないために、マーケティングが必要なのではないだろうか?と、最近考えるようになってきたのである。

今週から来週にかけ新人たちにとっては、配属が決まり、本格的な仕事が始まる頃だろう。
「数字」ばかりが、評価ではない。
「仕事をする」ということは、自分だけではなく、周囲の人も社会も、しあわせにしていくコトなのだ。
だからこそ「マーケティングは、ビジネスの基礎知識」とも、言われているのだ。
その事を忘れて欲しくない。

もう一つ、マーケティングがある場所は、人も社会も自由でなくてはならないという事。
人や社会を豊かにしあわせにするためには、自由な発想が出来る場所でなくてはならない(その意味で、中国には「金儲けはあっても、マーケティングは無い」といえる)。
自分の自由のために、他の人・モノ・コトを犠牲にするという事は、自分の自由もまた誰かに奪われているという事でもあるのだ。

新人たちへ、自分が自由であるために、人・モノ・コトの自由を奪わないで欲しい。
そのために、様々な感性を磨き、常にアンテナを張り巡らし、人・モノ・コトに対して、想像力を働かせて欲しい。
それが「しあわせ」を提供する、第一歩だと思うからだ。