朝日新聞のWEBサイトに、渋谷駅前に「女の味方」 勝負?前に「変身ルーム」と言う記事が掲載されている。
この記事を読んで男性諸氏は、「やっぱり、女性だからだな~」と思われるのかも知れない。
「本当にそうなのかな~?」と、私は思うのである。
むしろ、観察力と発想の違いなのではないだろうか?
女性の観察力と言うのは、一つのモノを見ているようで見ていない。
いつも複数の事を見ているのだ。
それを「注意力散漫」と呼ぶのかもしれないのだが、決して気が散漫しているわけではなく、「これって、どういうこと??」と感じてしまうと、そこからイロイロなことを観察しながら考えてしまうだけなのだ。
「一つの事が気になりだすと、周囲のコトまで気になってしまう」と言うのが、女性の観察力だと思うのだ。
周囲のコトまで気になってしまうと、イロイロな発想(=多くの場合解決策)がそれなりに生まれてくる。
その積み重ねとして、この記事ような「駅前パウダールーム」と言う発想が、うまれてくるのだ。
何より、この場合は「女性が不快に感じている」と言う問題点を、解決すると言うところから、発想が生まれている。
これが「トイレが汚い」と言うだけなら、駅周辺のコンビニやホテル、公共施設などのトイレを利用すれば、問題は解決する。
だが、「汚いトイレで、やりたくないモノ・コト」+「キレイなパウダールームでやりたいコト・モノ」+「あったら便利だと思うモノ・コト」が、組み合わさってこのようなサービスの提供と言う発想になっていくのだ。
このような観察力や発想力こそが、マーケティングのスタートとなるモノだと思うのだが、どうも世間的にはデータ中心で考えられているような気がする。
データは、確かに客観性に富むモノではあるのだが、それも使い方と見方によって、同じデータからまったく違う発想が生まれてくる。
例えば、「汚い公衆トイレ」の意識調査で、「使いたくない、できれば使いたくない」が圧倒的に多かったとする。
考えられる対応策は、
①トイレをキレイにするために、清掃員を増やす(または、常駐させる)
②トイレ利用の啓蒙キャンペーンをする
③百貨店やコンビニ、ホテルや飲食店のトイレ利用を提案する
と言う内容が殆どだろう。
これまでの提案の多くは、ここで終わっていた。
その視点では、利用者の満足度を引き上げることにはならない。
+αが欲しいのだ。
その+αとなるモノが観察力であったり、(利用者側に立った)発想力だったりするのだ。
それは、女性だからもっているモノではなく、不便さを感じるコトだったり、観察力から生まれ、どうしたら便利になるの?と言う発想へとつながっていくだけのことだ。
そこには、男性・女性の違いなど無いはずなのだ。
この記事を読んで男性諸氏は、「やっぱり、女性だからだな~」と思われるのかも知れない。
「本当にそうなのかな~?」と、私は思うのである。
むしろ、観察力と発想の違いなのではないだろうか?
女性の観察力と言うのは、一つのモノを見ているようで見ていない。
いつも複数の事を見ているのだ。
それを「注意力散漫」と呼ぶのかもしれないのだが、決して気が散漫しているわけではなく、「これって、どういうこと??」と感じてしまうと、そこからイロイロなことを観察しながら考えてしまうだけなのだ。
「一つの事が気になりだすと、周囲のコトまで気になってしまう」と言うのが、女性の観察力だと思うのだ。
周囲のコトまで気になってしまうと、イロイロな発想(=多くの場合解決策)がそれなりに生まれてくる。
その積み重ねとして、この記事ような「駅前パウダールーム」と言う発想が、うまれてくるのだ。
何より、この場合は「女性が不快に感じている」と言う問題点を、解決すると言うところから、発想が生まれている。
これが「トイレが汚い」と言うだけなら、駅周辺のコンビニやホテル、公共施設などのトイレを利用すれば、問題は解決する。
だが、「汚いトイレで、やりたくないモノ・コト」+「キレイなパウダールームでやりたいコト・モノ」+「あったら便利だと思うモノ・コト」が、組み合わさってこのようなサービスの提供と言う発想になっていくのだ。
このような観察力や発想力こそが、マーケティングのスタートとなるモノだと思うのだが、どうも世間的にはデータ中心で考えられているような気がする。
データは、確かに客観性に富むモノではあるのだが、それも使い方と見方によって、同じデータからまったく違う発想が生まれてくる。
例えば、「汚い公衆トイレ」の意識調査で、「使いたくない、できれば使いたくない」が圧倒的に多かったとする。
考えられる対応策は、
①トイレをキレイにするために、清掃員を増やす(または、常駐させる)
②トイレ利用の啓蒙キャンペーンをする
③百貨店やコンビニ、ホテルや飲食店のトイレ利用を提案する
と言う内容が殆どだろう。
これまでの提案の多くは、ここで終わっていた。
その視点では、利用者の満足度を引き上げることにはならない。
+αが欲しいのだ。
その+αとなるモノが観察力であったり、(利用者側に立った)発想力だったりするのだ。
それは、女性だからもっているモノではなく、不便さを感じるコトだったり、観察力から生まれ、どうしたら便利になるの?と言う発想へとつながっていくだけのことだ。
そこには、男性・女性の違いなど無いはずなのだ。