日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

船場吉兆廃業に隠れた問題点を考える

2008-05-28 20:30:25 | アラカルト
賞味期限の改ざんや牛肉などの産地偽装で、一時期営業を休止していた船場吉兆だったのだが、相当の負債額を抱えての再スタートから、今月お客様が手をつけなかった食事の「使いまわし」が発覚した。
「使いまわし」をキッカケに、客足が落ち込み今日の廃業となった。
このような一連の事件と廃業にいたる経緯は、多くの方々が既にご存知の事だろう。
「何を今更」と、思われる事だろう。

比較的、このような「生活者=お客様の信頼を失う」ような事件に対して、反応してきた拙ブログだが、今回の廃業に追い込まれた直接的原因「使いまわし」については、エントリをしてこなかった。
それには、一つの理由があったからなのだ。

アクセスしてくださる方の中には、料亭と呼ばれるようなトコロで食事を楽しまれる方も、いらっしゃるのではないだろうか?
実は、先月父と(初めて)1泊2日の京都旅行に行った。
そのため、食事の場所としていくつかの料理店をピックアップしたのだが、どう考えても食事の量が多いのだ。
80歳近い父から、
「おいしい食事を楽しみたい」
「できれば、きれいに全部食べたい」
「食べたいのだが、コース料理では食べきれない」
と言うコトを言い始めたのだ。
これでは、折角楽しみにしている食事も、楽しめそうもない・・・ということになってしまったのだ。
結局、予約をした料理店で訳を話し対応をしてくれた女将さんが、「少量でもお食事が楽しめるように考えましょう」と言ってくださり、当日様々な配慮をしていただいたこともあり、父も私もとても楽しく食事をする事ができたのだ。

おそらく船場吉兆で出されたお料理も、いわゆる「コース」と呼ばれるお料理で、年齢や性別、もっと言えば個人の好みなどまで考え、提供していなかったのではないだろうか?
そのため、お客様によって「手をつけない料理」が出てきたため、(料理店としてはありえない発想である)「もったいない」から「使いまわした」のではないだろうか?

もちろん、一度お客様に出したお料理の「使いまわし」などあってはならないコトだが、現実には殆ど手をつけられる事もなく、廃棄される料亭のお料理も相当あるのではないだろうか?と、考えていたのだ。

お料理と提供する料亭、その料亭を選ぶ人、その間でコミュニケーションを取る必要もあるだろう。
だが、「料亭だから、決められたコースでなくてはいけない」と言う発想も、変えなくてはいけないのではないだろうか?
それは料亭側にも利用する側にも、求められるコトのような気がするのだ。
料亭の食事は、おいしいだけではなく「楽しい贅沢な時間」の提供もあると思うからだ。