日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ブランド」の言葉に弱いのか?

2008-05-26 15:37:00 | アラカルト
先日、地下街でチョッと買い物をしていた。
その時、カバン屋さんの前で私より若干若いと思われる数人の女性グループが、布帛のショッピングバッグの品定めをしていた。
見ると、なかなか洒落たデザインの商品である。
お店の人も、購入意思アリ!と思ってか接客にも力が入っているようだった。
値段も驚くほど高いモノではなく、PTAの会合などの書類を持って歩くのに良さそうな大きさである。
だが、どうも女性グループの一人は、イマイチ買う気が起きないようなのだ。
ところが、店員さんが「この商品、人気ブランドの商品なんですよ!」の一言で、
「エ~、ブランド品なの?」と、俄然買う気になったようなのだ。

このやり取りを、何気なく近くで見ていて「『ブランド』と言う言葉に、女性は弱いのかな?」と、思ってしまった。
もちろん、「ブランド」と言う言葉に惑わされる事なく、自分の価値判断を持っている女性ももちろん多い。
だが、「ブランド」と言う言葉に弱い女性が多いということも、また事実だろう。
なぜなら、私の世代以降は「ヴィトン」や「グッチ」と言った「ブランド品」を雑誌「JJ」などで初めて知り、同時にハマトラなどのファッションを生み出しながら「キタムラ」や「ミハマ」と言った、地域ブランドを全国ブランドにした世代だからでもあるからだ。

拙ブログでは「ブランド」について、イロイロ述べてきた。
企業にとって「ブランド」は、「同業他社との差別となる名前」であり、「社会からの信頼と社会との(品質)保障」でもある。
だからこそ、昨今の企業の不祥事は生活者への裏切り行為となり、企業の信頼とともに「イメージ(=ブランドイメージ)」を大きく傷つけることにもなるのだ。
見方を変えれば「ブランド」は、生活者にとって企業への「安心手形」のようなモノなのかも知れない。
創業間もない企業にとって「ブランド構築」は、それだけ重要なコトだし、そのために躍起になるのである。

一方、私たち生活者は最近「ブランド」に、頼りすぎてはいないだろうか?
「ブランド」とか「有名」と聞くと、その実態・現物を見ることなく、飛びつくと言うコトはないだろうか?
それでは本当の「ブランド」は、育ってはいかない。
「ブランド構築」と言うのは、企業だけが一生懸命になってもできるモノではない。
また、生活者が「ブランド」だとか「有名」と言う言葉だけで、できるものでもないのだ。

「ブランド」を育てるのは、企業であり、生活者でもあるのである。
そのために、生活者はもっとシビアーであたたかなモノ・コトを見る目を養う必要があるように思うのだ。

因みに、その「ブランドバッグ」は、クラウンマークでお馴染みのグリーティングカードなどで有名な「Hallmark」のライセンス商品であった。