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女性マーケターから見た日々の出来事

味覚の変化が及ぼすコトは?

2010-06-18 16:44:32 | ライフスタイル
日経新聞のWEBサイトに、「若者の苦いビール離れが進んでいる」という内容の記事が掲載されていた。
「最近、ビールから苦味が消えている」
私自身、ビールと言うよりもアルコール全般を飲まないので、「ビールの味の変化」というモノに気が付かなかったのだが、掲載されている「苦味一覧表」を見ると、確かに昔ながらのビールに比べると、最近次々と発売されている「第3のビール」や「発泡酒」の苦味は少ないようだ。

そうやって思い浮かべると、年に1回ほど集まる会で飲む「ノンアルコールビール」は、確かに苦味が少ない(クルマの運転が必要な野外でBBQの会のため、「ノンアルコールビール」と決めている)。
私はてっきり「ノンアルコールビール」だから、苦味が少ないと思っていたのだが、どうやらそうでも無さそうだ。

それよりも気になったのは、「苦味」そのものが、食品の味の中から減りつつあると言う点だった。
確かに、滅多にしない外食をした時に見る光景として「お茶代わりにジュースで食事」がある。
初めて見たのは、20年以上前だった。
このときの衝撃は、個人的には大きく。
一緒に食事をしていた友人たちも「お茶代わりにジュースは無いよね・・・」と、言っていたのを覚えている。
そのような光景が、今では当たり前のようになりつつあるのも事実だ。
もしかしたら「ご飯にジュースのどこが悪いの?」という方もいらっしゃるかも知れない。
となると、あくまでも個人の味覚と言う問題になってしまうのだと思うのだが、少なくとも和食には、ジュースの味は合わないと思っている。
それ自体が「既成概念で、凝り固まっている」と指摘されれば、それまでなのだが・・・。

記事で指摘されている「少子化に伴う個人主義の影響」とか「苦い味の経験不足」と言う点については、なんともいえない。
確かに最近のピーマンやセロリは、苦味が少なくとても食べ易くなっているのも確かだ。
ただ、私たちの味覚、特に日本人の繊細な味覚のうちの一つ「苦味」に敏感でなくなるとすれば、日本料理そのものの味付けも大きく変わっていくかも知れない。
春先に頂く「たらのてんぷら」などは、あの独特の苦味があってこそ「春を感じさせる」のだ。
そして、味覚全体がとても単純になってしまったら、「食の楽しみ」も減ってしまうのではないだろうか?

二十歳になった時、父と一緒に飲んだビールの苦さで何となく「大人の仲間入りをした」と感じた。
「苦い味がわかる=大人の仲間入り」という感覚も、これからはなくなっていくのかも知れない。

でも・・・何故、「スーパードライ」が基準としたのだろうか?
そこは解せない・・・。