日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

原点に返る夏

2011-05-17 11:49:27 | ライフスタイル
ここ名古屋でも「節電の夏」が確実になってきた。
おそらく、全国各地が「節電の夏」になるのでは?
そんな中、新聞のテレビ欄を見ていたら「どうなる、ライトアップ」というタイトルを見かけた。

私自身、至る所で行われている「ライトアップ」そのものに、どんな意味と目的があるのだろう?と、不思議でならない。
確かに(名古屋の場合)テレビ塔や名古屋城がライトアップされていると華やかだし、街が明るい感じがする。
だが、ライトアップをして狙っている効果とは、なんだろう?と、考えてしまうのだ。
道行く人は、そのライトアップをどれだけ見ているのだろう?
そして、観光に結びついているのか?・・・その効果の程がわからない。

一方では、全国で行われていた「花火大会」が中止になりつつある。
その理由の一つは「東日本大震災」に対する「自粛」というコトと、もう一つは花火大会のスポンサーがなかなか見つからないと言う点があるようだ。
「東日本大震災に対しての自粛」にかこつけた、経費削減のためのスポンサー辞退ということもあるような気がしている。
ローカルな話題で申し訳ないのだが、7月末に行われていた「全国選抜長良川花火大会(中日新聞主催)」と、8月初めに行われていた「長良川全国花火大会(岐阜新聞主催)」が「東日本大震災」を理由に次々と中止を発表している。

しかし、本来の夏の行事と言うのは、決して華やかな一面だけではなかったのでは?
例えば、京都の「祇園祭」は、疫病を追い払う為の「御霊会」がはじまりだったと思う。
他にも、長崎の「精霊流し」や東北の「ねぶた」なども、「盂蘭盆会」の行事の一つだったはずだ。
今では、華やかで壮大なお祭りであってもその原点となっているのは、亡くなった方々への鎮魂の思いだ。
とすれば、日本全国で行われていた花火大会のいくつかは、そんな意味も込められていたのでは?
その原点を知れば、単に「震災だから自粛」と言うコトには、ならないと思うのだ。

元々花火大会で使われる花火を作っている企業と言うのは、家内的な規模でしかなく、花火大会がなくなるコトで、経済的な打撃が大きいトコロばかりなのだ。
そのことを考えれば、花火大会を中止するよりライトアップを取り止めるほうが、遥かにプラス要因が多いと思うのだ。

「様々な行事の原点を知り、楽しくこの夏を過ごす」と言う、柔軟な発想と気持ちの提案が大切なのだと思う。