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女性マーケターから見た日々の出来事

お寺も経営するのが、大変だ

2013-02-27 19:43:09 | 徒然
名古屋の方ならご存じの方もいらっしゃるかも知れないのだが、しばらく前に名古屋でも古刹といわれるお寺で、ある問題が発生している。
その問題とは、見習いのお坊さんを一人でお葬式に行かせた、と言うモノ。
お葬式を依頼した檀家さんは、相当高額なお布施を包んでいて、檀家さんは見習いのお坊さんが来たとは思っていなかったそうだ。

それだけでもビックリだったのだが、このお寺、何とハローワークで見習いのお坊さんを募集していたという。
お坊さんもハローワークで募集する時代?!と、言うコトだろうか?

そして今日、一部新聞に高野山真言宗でお布施などを元に資金運用をし、7億円弱の損失を出している、と言う報道があった。
高野山真言宗と言えば、真言宗の総本山。
それも1200年近く前に、空海によって開かれたお寺。
古刹中の古刹とも言える、いわば「お寺の名門」。
そんなお寺が、お布施などを元に資金運用をしていた、と言うのは何とも俗っぽい話だが、今の時代お寺もお布施などを元手にして、資金運用をするのが当たり前なのかも知れない。

ただ、この様なニュースを聞くと檀家さんだけではなく部外者の私でも、ある種の違和感を覚える。
一つは、お寺の主な収入源が「お葬式」になってしまっている、と言う現実。
もう一つは、宗教法人としてどうなのか?と言う疑問。
高野山にしても、名古屋の見習いお坊さんをお葬式に派遣したお寺も、敷地が広く国宝級の仏像などを所有している為、維持管理としての費用が必要となるのはわかる。
わかるのだが、どこかチグハグ感がある。
何故だろう?と考えてみると、「仏教と寺」という関係だという気がしてきた。

日本に伝えられている仏教は、「大乗仏教」と呼ばれる。
基本となっているのは、「他利と救済」だと言われている。
特に「救済」という点については、お経を唱えるコトで様々な問題を解決し、心の救済の役割を果たす、という考えがあったと思う。
「心の救済」のため、様々なコトをされていると思うのだが、現実は「葬式寺」と呼ばれる、お葬式や法事の時だけご用のあるお寺になってしまっている部分があるのでは?

もちろん、「葬式寺」とさせているのは生活者側にも問題があると思うのだが、そもそもお寺という存在が、遠くなってしまっていて「心の救済」を求める時には「カウンセリング」や「スピリチアルなんとか」と呼ばれる人を頼る人の方が多いのだと思う。
何故なら、私自身実家の菩提寺となるお寺に行くと、いつも玄関が閉まっていてとても声が掛けづらい。
そして、お寺から連絡があるのは、法事の案内かお金の話の時がほとんど。
「心安らぐ法話のお誘い」等を頂いた記憶が、無いと思う。

もちろん、積極的に人生相談のようなコトをされているご住職さんもいらっしゃると思う。
でもその数は圧倒的に少ないのでは?
そろそろ「お葬式寺」から、日本に仏教が伝えられた頃の「生活の中にあるお寺」へと変わらなければいけない時期にきているような気がする、お寺の報道だった。