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選挙権が18歳になる、というコト

2015-06-18 19:20:14 | アラカルト

昨日、選挙権が18歳に引き下げらることが、参議院で成立した。
早ければ、来年の参議院選挙から適用される。
朝日新聞:18歳選挙権、成立 来夏の参議院選挙から適用へ

このニュースを聞いたとき、「選挙権だけ」のことだろうか?と、考えたのだった。
まず選挙についていうなら、「18歳でも十分理解できる言葉」で選挙をしなくてはならない。
今までのように、「連呼型選挙戦」では若者の関心を引くことはできないだろう。
だからといって、Twitterなどで積極的に発信しようとしても、今の選挙制度では難しい。
何より、十分大人であるはずのオバサン(=私)が街頭演説を聞いていても、「何が言いたいのかよくわからない」というコトが多い。選挙向けの言葉ばかりを並べて、耳障りの良い言葉を言っているだけで「何が言いたいの?」という部分が、伝わってこないコトが多いのだ。
その意味では、選挙とか政治の言葉から「普通の言葉」に翻訳する必要がある。
それだけの技量を持った政治家が、どれだけいらっしゃるのだろう?

もう一つは、「高校生」をどう見るのか?という点だ。
この点は、むしろ親御さんや社会全体の問題としてかかわってくるような気がする。
今日の朝日新聞の天声人語に、今回の「18歳の選挙権」(会員専用サイトにつき、全文が読めません)について書かれてあった。
その中に英国の動物行動学者のデズモンド・モリスの「18歳は完全におとなになる年」で、「(親元など)生まれ育った環境から自分の根っこを引っこ抜く年である」という一文を紹介している。

イギリスと日本では、「子ども」に対する考え方が違うとは思うのだが、今の18歳に「生まれ育った環境から、自分の根っこを引っこ抜く」という感覚はあるだろうか?というよりも、親にそのような覚悟というか、考えがあるのだろうか?
なぜなら日本の親御さんは、お子さんに対して「手をかけ過ぎ」ているのでは?と、思うことがあるからだ。

子ども側はどう感じているのかわからないのだが、子離れできない親が増えてきているのでは?という気がするのだ。
そして「(手をかけすぎる親に対して)自由にさせてよ」と、反発するお子さんも減ってきているような気がする。
なんとなくだが18歳という年齢は、20歳という大人になるまでの助走期間の始まりで、「自分と親・社会・文化と格闘する時期」でもあったように思う。
でもそのような「格闘する時期」が無くなってきているというか、「格闘させなくなってきている」ような気がする。
それだけ社会全体が、過保護になりつつある反面、ゆとりがなくなってきている様にも感じるのだ。

「選挙権が18歳に引き下げられる」というのは、選挙権だけではなく、大人が「18歳の若者たちのコトをどう考えるのか?」という問いかけでもあるような気がする。