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今日は何の日?「菊の節句」

2021-09-09 19:27:00 | 徒然

今日9月9日は、「五節句」の内の「菊の節句」の日だ。
と言っても、何?と思われる方のほうが多いように思う。
私が知ったのも、たぶん高校の古文の授業だったような、気がしている。

3月3日の「桃の節句」、5月5日の「端午の節句」、7月7日の「七夕」等日本には、季節折々の「節句」と呼ばれる季節の行事があった。
今では3月3日と5月5日と7月7日の節句位しか、行事として残っていないように感じている。

例年であれば、まだまだ残暑が厳しく、秋の花として菊(というよりも仏花のイメージンのほうが強いかもしれない)を見る機会はほとんどない。
他の節句同様に、旧暦の日付で考えれば丁度季節感があうのだから、仕方ないのかもしれない。

そんないまいちメジャーではない?「菊の節句」を思い出したのは、三笠宮彬子女王殿下が毎月雑誌にエッセイとして寄稿されていて、今月は「菊の節句」について書かれていたからだ。
和楽Web:思い出すのはほっぺたに触れたふわふわ着せ綿。菊の節句の由来と行事

おそらく私が古文の授業で知った「菊の節句」の描写は、この「着せ綿」のことだったのだろうな~、とおぼろげな記憶をたどりながら、エッセイを拝読する。
9月9日という、中国の「幾久しい」という考えと、季節の花である「菊」が結びつき、「菊の花に真綿を乗せ、菊の香と露を真綿にまとわせ、それで顔を拭き美と健康=長寿を願う、という発想は、今のような娯楽が無かった時代の生活の楽しみ方だったのかもしれない。

それにしても、菊の花を浮かべお酒を頂く、着せ綿で顔を拭く等、非科学的な発想ではあるが、古の高貴な人たちの「生活の楽しみの見つけ方」は、何かと忙しい現代で忘れた何かを思い起させてくれるような気がしている。
まして今のような「コロナ禍」では、様々な「生活の行動規制」が行われ、「規制された行動」に不満が起きやすい状況にある。
「コロナさえなければ…」という言葉と共に、どこかでクラスターが発生する度に、社会全体が監視社会になったかのような「行動規制」がされ、それが「同調圧力」の様になって、より閉塞感を感じさせる社会になりつつある。

以前拙ブログでも書かせていただいたが、今の生活者が抱えている不満は、「不利益感」と「不平等感」によるところが大きいと感じている。
「不利益感」と「不平等感」が、「同調圧力」となって政策としてではなく、社会の暗黙の規範の様になって、生活を締め付けているのでは?ということなのだ。

「今まで当たり前」だったことが、「当たり前で無くなる」という生活が続いているからこそ、古の人たちの「娯楽が無い時代の季節折々の生活の楽しみ方」が、参考になるのでは?と、感じている。

彬子女王殿下のような、「着せ綿」を頬にあて季節を感じるような生活はできないが、スーパーで売っている「食用菊」をお浸しにしたり、日本酒に浮かべて見たりすることはできる。
それが、日本社会を覆っている「(理不尽と感じる)同調圧力」から逃れ、一時の「不利益感」や「不平等感」を忘れさせてくれるのでは?ないだろうか?