Huffpost を記事をチェックしていたら、「あ~~~、AIに勝る人って、こういうことなのか!」と、感じる記事があった。
Huffpost:死亡した元NBA選手を「使い物にならなくなった」。失礼すぎる訃報が物議。AI使用の疑いも
元NBA選手の訃報を掲載したのは、マイクロソフト社のMSNだったようだ。
日本でも比較的信用度の有るニュースサイトとして、MSNの記事を読まれる方も多いのでは?という気がしている。
特に海外からのニュースになると、AFPやReuters等がメインとなり、次いでWashingtonPostやBloombergといった米国のニュースメディアということになると思う。
今回のように、元NBA選手となると日本ではNBAファンなら、その活躍を知っていてもNBAファンではない人達にとっては、「あ~~NBA選手の訃報だ」程度にしか思われないかもしれないので、問題となった英文見出しも興味がないと思う。
そのような状況だからこそ、日本では話題にならなかったのだと思うのだが、一歩引いてこの見出しを読むと、亡くなられた選手に対して失礼過ぎる暴言の見出しだ。
この記事を書いたのが、AIなのでは?と気づく要因となったのは、署名記事ではあるが、署名者名が無かったということだろう。
「エディター=著名者」というを考えれば、署名記事がまだ書けない記者なのか?という印象も持たれるが、人が書いた記事であれば、もっと他の表現をするだろう。
何故なら、見出しを含め記事全体から感じ取れるのは、亡くなられた選手に対する敬意というモノが、感じられないからだ。
数年前から「社会のAI化が進むみ、将来AIに奪われる職業」ということが、言われるようになってきている。
それに加え今年あたりからはチャトGPTという「生成AI」が話題になってきている。
この「生成AI」の登場によって、より「人とAIの差が縮まるのでは」と言われているが、本当にそうなるのだろうか?
その答えの一つがこの元NBA選手の訃報記事なのでは?という、気がしている。
AIにしてもチャットGPTにしても、基本はコンピューターだ。
「1と0」の集約でしかない。
すなわち数値化できないコトに関しては、苦手というか、できないコトになる。
もちろん、その「数値化できないコト」を過去のデータから、状況分析(というデータ分析)をし、ある程度の未来予測をする、ということはできるだろう。
それはもしかしたら、ドラッカーの言った「未来を予測する為には、過去のデータを分析するコトで、ある程度分かってくる」ということと、同じかもしれない。
ドラッカーは、よく人口統計をもとに話をされていたが、10年前出生した子ども達の人口は、現在の10歳の人口よりも多くはならない、ということだ。
したがって、現在10歳の子ども達の10年後である20歳の若者たちの市場規模は、現在10歳の子ども達の市場規模よりも大きくはならない、という考え方だ。
そんなことは当たり前だ!と思われるかもしれないが、この視点がマーケターにはとても重要なのだ。
そこに加えるのは「感性や感情」と言った、「人にしか持ちえない感覚」だ。
その「人にしか持ちえない感覚」がないからこそ、MSNの訃報記事がAIによる生成記事なのでは?という指摘がされているのだ。
言い換えれば、「AIでは勝てない人の力」というのは、「人の気持ちや感情を敏感に受け止め、寄り添う力」なのではないだろうか。
そのような感性と力を身につける為の努力が、これからのビジネスパーソンに求められる能力となるかもしれない。