朝日新聞のWebサイトに、広告表現についての記事があった。
朝日新聞:子育て=女性?広告に根強い固定観念、消えるには 消費者は変化も (有料会員記事)
この調査を行ったのは、広告代理店ではなく、広告写真等を提供する会社だ。
広告写真というのは、特定の広告の為に撮影された写真ではなく、1ショット〇〇円という価格で写真を提供してくれる、いわば広告向け写真をストックしている企業だ。
「ストックしている写真=商品」ということになる。
大企業が打つ広告と違い、現実的な要素の強い広告で使われる、ということにもなるはずだ。
だからこそ、使われる写真の動向で「広告表現の変化」というモノを、調査(=市場調査)をする必要があったのだろう。
バブルの頃、広告業界はどこか浮足立っていたようなところがあった。
当時の広告の企画というのは「今の生活者より1歩夢を感じさせられるもの」という内容が、多かった。
実際、私自身もそのような要素の広告の企画を作った経験がある。
それはファッション誌等でも同じだった。
特に女性ファッション誌に登場する読者モデルは、東京の高級住宅地に住んでいるマダムや女子大学生で、持っているバッグや靴等も有名な海外のファッションブランドの物だった。
実際の読者は、そのようなマダムや女子大生ではなく、そのような「生活に憧れを抱くマダムや女子大生」であった。
逆に言えば、そのような読者層だということを理解した上で、「ワンランク上のおしゃれな生活」のようなモノを紙面展開していたのだ。
当時のファッション誌が、様々な商品の販促的役割を担っていたという点を考えれば、当然広告もそのようなモノになっていく、ということになる。
しかし、バブル経済が崩壊し30年以上経った今でも、日本の経済は上向きとなる雰囲気がない。
「コロナ禍」になってから、後退しているのでは?と、感じられている方のほうが多いかもしれない。
それは「先の見えぬ不安」という現状が大きく関わっていると、考えられる。
その一方で、大きな社会変化となっているのが「女性の社会進出」だろう。
今や「共稼ぎ」は当たり前となり、「専業主婦」という言葉は死語に近い存在かもしれない。
経済的理由で「共稼ぎ」を選んでいるとは限らないが、女性が仕事を持つことが当たり前の社会になっている、というのは事実だ。
反面、今でも女性の「社会的役割」の一つとして、「家事・子育て・介護」が期待されている。
仕事をし、帰宅後「家事・子育て・介護」等を一人でこなす等、スーパーウーマンでない限り無理なのだが、いまだにそれを期待している、というのが日本の潜在的意識だということになるだろう。
とすれば、広告そのものがリードをするようなカタチで、「新しいくらし」を表現していくということもまた、大切なことだろう。
車のCMで、運転者だけがシートベルトをしていたのが、法改正により助手席もするようになり、今では後部座席もシートベルトをしたCM映像になっている。
このような「何気ないくらしの風景の中」に、「新しいくらし」の表現をすることで、潜在的意識を変えていくという役割もまた、広告(表現)はになっているのだ。
なって
いる。
結婚後、家計の為に自分が働く必要がないくらいの経済力を持っている相手との結婚、ということを意味しているからだ。