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「強さ」ばかりを求める社会は、息苦しいのでは?

2022-08-26 20:24:51 | ビジネス

Huffpostに「強さばかりを求める社会の落とし穴」のような記事があった。
Huffpost:もう「強さ」だけで戦わなくていい。「弱さ」を生かす社会の作り方

日本よりも米国のほうが、「強い=正しい」という社会通念のようなものが強いようにも思えるのだが、日本の場合バブル崩壊後このような傾向が強まってきているような気がしている。
例えば、「経済的格差、学歴の格差、社会的ステータス」等だ。
そこに「考えの違い」や「身体的なこと」等が加わり、「大多数vs少数」という構図ができ、「大多数=強い」ということにもなってしまっている気がしている。
そのため、少数の意見や考えは蔑ろにされる傾向にある。
少数の人たちからすれば、それは「生きづらさ」へと繋がっていく問題ともなっている。

その「少数」ということに関しても、常に自分が大多数側にいるわけではない。
時と場合によっては、自分が少数になってしまうこともある。
自分が少数になる事を恐れるあまり、自分の考えや意見を押し殺している、という人も潜在的には多いのでは?という、気がしている。

話は変わるが、20年位前に盛んに言われた言葉の一つに「ユニバーサル(デザインやサービス)」があった。
「ユニバーサル」が示す方向性は、「様々なハンディがある人達が求める快適さ」という考えが基本にあった。
それは「ハンディがある人」だけではなく、「ハンディの無い人」にとっても快適さを提供する、ということにも繋がっている、という考えがあった。
その「ユニバーサル」という考えが、果たして定着しているのか?というと、疑問に感じるところがある。
むしろ、この20年の間で「強さ」がより強調されるようになった、という気がしている。
それが、ある一定数の人たちが持つ「生きづらさ」なのでは?という、ことなのだ。

その「生きづらさとは何か?」と、考えていくとそれは「弱さ」というところにも繋がっていく。
しかし「弱い」ということの視点を変えると、「問題の提起」ということにもなっている。
その「問題」は、より多くの人が「心地よい」とか「便利である」と感じられるような、社会の豊かさへと繋がる問題という場合が多いのだ。
それを一言で表すと「ユニバーサル」ということだったのでは、ないだろうか?

令和という時代になってから言われる言葉の一つに、「風の時代」というがある。
「風になびく若木のような柔軟性の時代」ともとれる。
四角四面の鋼のような強さは、一つの穴が開くともろく崩れ去ってしまうことがある。
とすれば、強さばかりが強調される社会は、どこか脆さを持っている社会でもあるのでは?
弱さを含んだ多様性の中から生まれる新しい価値観や創造性は、「弱い」のではなく「やさしさや変化に対応できる柔軟さ」なのかもしれない。
そのような価値観を持てるか否か、ということが問われ始めている気がする。



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