今朝の新聞に、英国のファッションデザイナー・マリー・クワントさんの訃報が報じられていた。
朝日新聞:デザイナーのマリー・クワントさん死去 93歳、ミニスカートを広める
マリー・クワントという名前を聞いて、「ミニスカート」を思い浮かべる事ができる方は、60代以上なのではないだろうか?
何故なら、世界中で「ミニスカート」のブームを、マリー・クワントが創ったのは1960年代だったからだ。
大ブームとなった「ミニスカート」は、単なる丈の短いスカートというのではなく、どこかPopで華やかさを感じられるようなところがあったのではないだろうか?
その「ミニスカート」が世界的ブームとなったのは、英国のモデル・ツィギーがいたからだろう。
ツィギーの名前の通り、「小枝」のような体格の女性だった。
もちろん、日本でも「ミニスカート」は一大ブームとなった。
20代だけではなく40代、50代の女性もスカート丈は、ミニだったような記憶がある。
違う言い方をするなら、「ミニスカートが標準だった」ということになるのかもしれない。
とはいえ、ブームはいつか去る。
1970年代に入ると、米国の「フラワーチルドレン」と呼ばれる若い世代の人たちのファッションが、注目されるようになる。
と同時に「ミニスカート」のブームにも陰りを見せるようになってきたのだ。
おそらく、ファッションの世界で次の「ミニスカート」ブームがやってくるのは、1990年代頃だろう。
日本でいうなら、バブル経済の真っただ中の頃だ。
この時の「ミニスカート」のブームは、「女性に膝小僧はエレガントではない」という信念の元、シャネルですら「ミニ」どころか「マイクロミニ」と呼ばれるような、丈の短いスカートを発表している。
この時のデザイナーは、カール・ラガーフェルドであり、ブランドを立ち上げたココ・シャネルではなかったのだが、当時は「シャネルが生きていたらさぞビックリするでしょうね」と言われていた記憶がある。
それほどまでに、マリー・クワントがデザインをした「ミニスカート」は、ファッションの世界では強い影響を与えたのだった。
ところが、マリー・クワントの訃報を報じるYahoo!等のコメントを読むと、世代が若くなるほど「ファッションデザイナー・マリークワント」ではなくなる。
ではどんな分野に進出したのか?と言えば「化粧品やその関連雑貨やお財布などの小物」だったのだ。
マリー・クワントのトレードマークのように使われていた「花のマーク」が付いた、可愛くて明るいポップな商品の数々は、若い女性を中心に人気となっていった。
価格的にも、いわゆる海外の高級ファッションブランドとは違い、少し背伸びをするような価格帯であった、ということも人気となった一因だろう。
アパレル商品を製造販売していなかったわけではないが、購入される商品の多くはアパレル商品ではなく、ファッション小物や化粧品だったのではその時代の需要を見越して、ブランドそのものの大きなイメージを変えることなく、主力商品を変えていったようにも思える。
マリー・クワント本人の考えだったのかは分からない。
ただ、「ファッション関連」という、大きなカテゴリーの中で「マリー・クワントのイメージ」を大きく変えることなく、主力商品を変えていったというデザイナーは、彼女が最初で最後かもしれない。
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