今日からGW後半戦、ということで5日間の連休を楽しまれている方も多いと思う。
今年は(実質)「コロナ禍」から、解放された大型連休ということで、自粛されていた全国各地のお祭りも4年ぶりに開催しているところも多いようだ。
当然だが、人の往来も「コロナ禍」前のようになり、全国各地の観光地も賑わっていると、ニュースなどでは報道されている。
そんな大型連休だからこそ、いつもとは違う分野について少しだけ興味を持つのも良いのでは?と、朝日新聞のWebサイトの記事を読んだ。
朝日新聞:江戸時代の武士にも必要な教養 奥深い和菓子の魅力
この記事を読んで思い出したのが、実家の菩提寺がある松江だった。
ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、松江は京都・金沢に次ぐ和菓子の銘菓が多いと言われている。
その理由が、松江藩主であった松平治郷が自ら「不昧流(「ふまいりゅう」と読む)」という流派をつくり、松江城下に「茶の湯」を広めたことにある。
山陰中央新報:大名茶人松平不昧公 松江の茶の湯
茶の湯の文化があるからこそ、和菓子文化もまた発達した、ということだろう。
確かに京都は茶の湯文化発祥の地であり、金沢がある旧加賀藩は、茶の湯を文化奨励としていた。
そのような茶の湯文化と大きく関わっているのが、茶席で出される和菓子ということになるだろう。
では、今はどうなのだろう?
実は、昭和の政治家や経営者の多くは、茶の湯をたしなむ方が少なくなかった。
「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助などは、わざわざ京都の南禅寺近くに茶室を中心とした別邸「真々庵」をつくり、来訪者を茶の湯でもてなした、と言われている。
もてなすだけではなく、松下幸之助自身の思い考える場でもあった、とも言われている。
政治の世界では、そのような場というよりも豊臣秀吉から続く、「社交の場」としての茶の湯があったのかもしれない。
それが今でも続いているのか?と言われれば、おそらく違うだろう。
社交の場としての茶席は無くなり、大掛かりな「パーティー」の方が、効率よく政治資金を集める事ができるだろうし、料亭で話をおすれば良いからだ。
料亭と言ってもそれなりの格式あるところであれば、茶の湯の作法位知っておく必要があるかもしれないが、バブル経済崩壊後はそのような場所も無くなりつつあるのではないだろうか?
そのように考えると、かつては女性の嫁入り作法の一つとしての「茶道」ではなく、むしろ男性の中でもそれなりの社会的地位の有る人たちにとっての「茶の湯」があり、「茶席」があったともいえそうだ。
ただ残念なことに、今は男女問わず「茶の湯」や「茶席」という場そのものが、遠いモノとなっている。
茶の湯を引き立てる和菓子にしても、一般的な生クリームやバターを使う洋菓子よりもカロリーが低く腹持ちも良い、という理由で和菓子を選ぶ女性は多くなっている。
茶席のような抹茶ではなく身近な煎茶であっても、今は急須でお茶を淹れる家庭は少なくなっているはずだ。
むしろ、ペットボトルのお茶しか飲んだことがない、という若い方もいらっしゃるかもしれない。
そう考えると、茶席のような場所に行くには、それなりの作法という「教養」が必要であり、その「教養」は日本文化を知るという意味でも重要なことかもしれない。
グローバルなビジネス社会だからこそ、「日本文化に対する知」は今のビジネスパーソンに必要な「教養」のような気がする。