大山康晴十五世名人の50代の成績は驚異的といわれる。中でも56歳と57歳にあたる1979年度と1980年度は、それぞれ53勝21敗、41勝17敗という成績。ともに勝率は7割を越え、2年間で94勝!!の荒稼ぎである。
1979年度は王将獲得、NHK杯テレビ将棋トーナメント優勝、名将戦優勝、日本将棋連盟杯争奪戦優勝。56歳で優勝4回は奇跡的だ。将棋大賞は最優秀棋士賞、最多勝利賞、最多対局賞を受賞した。
1980年度は王将防衛、王座奪取。思わず口をあんぐりしてしまう素晴らしさである。
ただ、大山十五世名人の記録に異を唱えるわけではないが、このころは棋戦がずいぶん多かった。たとえば、当時はあって現在はない棋戦に、日本将棋連盟杯争奪戦、名将戦、早指し選手権戦、オールスター勝ち抜き戦がある。つまり連盟杯や名将戦での優勝も、現在では「ない」計算になるのだ。
また勝ち抜き戦は、勝てば際限なく対局がつくので、1979年度なんかは、ここで勝ち星を稼いだ可能性もある。
そこで私は、1979年度の大山十五世名人の勝敗の内訳を精査し、現在なら何勝になるかを検討してみた。
第38期名人挑戦者決定リーグ…6勝3敗
第18期十段戦リーグ…4勝6敗
第19期十段戦…3勝1敗
第34期棋聖戦…3勝1敗
第35期棋聖戦…1勝1敗
第36期棋聖戦…1勝
第20期王位戦リーグ…3勝1敗
第21期王位戦リーグ…1勝
第5期棋王戦…2勝1敗
第6期棋王戦…1勝1敗
第29期王将戦リーグ…6勝1敗、七番勝負…4勝2敗(奪取)
第27回王座戦…3勝1敗
第29回NHK杯テレビ将棋トーナメント…4勝(優勝)
第6回名将戦…4勝、決勝三番勝負…2勝(優勝)
第12回日本将棋連盟杯争奪戦…4勝(優勝)
第13回早指し選手権戦…1敗
第2回オールスター勝ち抜き戦…1勝1敗
合計、53勝21敗。
竜王戦の前身である十段戦は、上位6棋士のリーグ戦方式だった。よって、最大4つのリーグ戦を戦えたのだが、大山十五世名人はそのすべてに入っていたことに驚く(参考までに、2013年度に順位戦A級、王位リーグ、王将リーグのすべてに入っていたのは、羽生善治名人(王位)、渡辺明二冠(王将)、佐藤康光九段の3人である)。
出ると負け、だったのは早指し戦のみで、あとは必ず白星を挙げていた。
意外なのが勝ち抜き戦で、成績は1勝1敗なので、ここで白星を量産したというわけではない。
では、これらが現在だったらどうなっていたか。
名人挑戦者決定リーグは、現在の順位戦A級と同じなので、そのまま。
十段リーグは10局あり、第18期の成績は○○●○○●●●●●(陥落)。現行の竜王戦にあてはめると、リーグ戦が竜王戦の本戦トーナメントにあたってしまい、単純に比較ができない。
また19期十段戦は、18期にリーグから陥落したから指せた、ということも考慮しなければならない。ただこれは、竜王ランキング戦に置き換えればよさそうだ。
ともかく「十段戦問題」は、ひとまず保留しておく。
棋聖戦は当時2期制なので、冬期(第35期)ぶんの1勝1敗を削除。
王位戦、棋王戦はそのまま。
王座戦は当時、準タイトル戦で三番勝負だったが、本成績とは関係ないので、そのまま。
王将戦リーグは当時、現在より1人多い8人制だったが、勝敗はそのままとして集計する。
NHK杯将棋トーナメントは、当時26人制で、現在なら優勝まで5勝が必要だが、そのままとする。
名将戦は終了したので、6勝を削除。
日本将棋連盟杯争奪戦はその後天王戦に変わり、棋王戦に合流したので、4勝を削除。
早指し選手権戦は終了したが、現在は銀河戦があるので、その代わりとする。
オールスター勝ち抜き戦は終了したので、1勝1敗を削除。
これで終わり、ではない。昔はなかったが、現在はある棋戦がある。将棋日本シリーズと朝日オープン戦がそれで、前者は1980年、後者は全日本プロトーナメント(前身)として、1982年に開始されている。もしこれらの棋戦が1979年度にあったら、そこそこ勝ち星を稼いでいたと思う。
そこでかなり乱暴だが、第18期・19期十段戦の、合計7勝7敗を、ここに合算してしまおう。
ただ冷静に考えると、負け数7は多いので、2つ引かせていただく。
以上の検討によって、都合12勝4敗を当時の成績から引くことにする。
すると、大山十五世名人の1979年度の換算成績は、
「41勝17敗」
となる。
これも素晴らしい成績である。ちなみに昨年度の将棋大賞は、最多勝利は羽生善治名人の42勝、最多対局も羽生名人の62局。上記修正成績が、現在と遜色ないことが分かる。
過去の名人経験者でいうと、中原誠十六世名人が52歳、米長邦雄永世棋聖が54歳で順位戦A級陥落。そして谷川浩司九段も51歳でA級を陥落し、なおも長引く不調を考えると、大山十五世名人晩年の成績が、なおさら目立つのだ。
しかも大山十五世名人は当時、連盟の会長職も兼務していたのだ。
目が回るくらいの激務の中で、この成績。私は改めて、大山十五世名人の凄さを感じたのであった。
1979年度は王将獲得、NHK杯テレビ将棋トーナメント優勝、名将戦優勝、日本将棋連盟杯争奪戦優勝。56歳で優勝4回は奇跡的だ。将棋大賞は最優秀棋士賞、最多勝利賞、最多対局賞を受賞した。
1980年度は王将防衛、王座奪取。思わず口をあんぐりしてしまう素晴らしさである。
ただ、大山十五世名人の記録に異を唱えるわけではないが、このころは棋戦がずいぶん多かった。たとえば、当時はあって現在はない棋戦に、日本将棋連盟杯争奪戦、名将戦、早指し選手権戦、オールスター勝ち抜き戦がある。つまり連盟杯や名将戦での優勝も、現在では「ない」計算になるのだ。
また勝ち抜き戦は、勝てば際限なく対局がつくので、1979年度なんかは、ここで勝ち星を稼いだ可能性もある。
そこで私は、1979年度の大山十五世名人の勝敗の内訳を精査し、現在なら何勝になるかを検討してみた。
第38期名人挑戦者決定リーグ…6勝3敗
第18期十段戦リーグ…4勝6敗
第19期十段戦…3勝1敗
第34期棋聖戦…3勝1敗
第35期棋聖戦…1勝1敗
第36期棋聖戦…1勝
第20期王位戦リーグ…3勝1敗
第21期王位戦リーグ…1勝
第5期棋王戦…2勝1敗
第6期棋王戦…1勝1敗
第29期王将戦リーグ…6勝1敗、七番勝負…4勝2敗(奪取)
第27回王座戦…3勝1敗
第29回NHK杯テレビ将棋トーナメント…4勝(優勝)
第6回名将戦…4勝、決勝三番勝負…2勝(優勝)
第12回日本将棋連盟杯争奪戦…4勝(優勝)
第13回早指し選手権戦…1敗
第2回オールスター勝ち抜き戦…1勝1敗
合計、53勝21敗。
竜王戦の前身である十段戦は、上位6棋士のリーグ戦方式だった。よって、最大4つのリーグ戦を戦えたのだが、大山十五世名人はそのすべてに入っていたことに驚く(参考までに、2013年度に順位戦A級、王位リーグ、王将リーグのすべてに入っていたのは、羽生善治名人(王位)、渡辺明二冠(王将)、佐藤康光九段の3人である)。
出ると負け、だったのは早指し戦のみで、あとは必ず白星を挙げていた。
意外なのが勝ち抜き戦で、成績は1勝1敗なので、ここで白星を量産したというわけではない。
では、これらが現在だったらどうなっていたか。
名人挑戦者決定リーグは、現在の順位戦A級と同じなので、そのまま。
十段リーグは10局あり、第18期の成績は○○●○○●●●●●(陥落)。現行の竜王戦にあてはめると、リーグ戦が竜王戦の本戦トーナメントにあたってしまい、単純に比較ができない。
また19期十段戦は、18期にリーグから陥落したから指せた、ということも考慮しなければならない。ただこれは、竜王ランキング戦に置き換えればよさそうだ。
ともかく「十段戦問題」は、ひとまず保留しておく。
棋聖戦は当時2期制なので、冬期(第35期)ぶんの1勝1敗を削除。
王位戦、棋王戦はそのまま。
王座戦は当時、準タイトル戦で三番勝負だったが、本成績とは関係ないので、そのまま。
王将戦リーグは当時、現在より1人多い8人制だったが、勝敗はそのままとして集計する。
NHK杯将棋トーナメントは、当時26人制で、現在なら優勝まで5勝が必要だが、そのままとする。
名将戦は終了したので、6勝を削除。
日本将棋連盟杯争奪戦はその後天王戦に変わり、棋王戦に合流したので、4勝を削除。
早指し選手権戦は終了したが、現在は銀河戦があるので、その代わりとする。
オールスター勝ち抜き戦は終了したので、1勝1敗を削除。
これで終わり、ではない。昔はなかったが、現在はある棋戦がある。将棋日本シリーズと朝日オープン戦がそれで、前者は1980年、後者は全日本プロトーナメント(前身)として、1982年に開始されている。もしこれらの棋戦が1979年度にあったら、そこそこ勝ち星を稼いでいたと思う。
そこでかなり乱暴だが、第18期・19期十段戦の、合計7勝7敗を、ここに合算してしまおう。
ただ冷静に考えると、負け数7は多いので、2つ引かせていただく。
以上の検討によって、都合12勝4敗を当時の成績から引くことにする。
すると、大山十五世名人の1979年度の換算成績は、
「41勝17敗」
となる。
これも素晴らしい成績である。ちなみに昨年度の将棋大賞は、最多勝利は羽生善治名人の42勝、最多対局も羽生名人の62局。上記修正成績が、現在と遜色ないことが分かる。
過去の名人経験者でいうと、中原誠十六世名人が52歳、米長邦雄永世棋聖が54歳で順位戦A級陥落。そして谷川浩司九段も51歳でA級を陥落し、なおも長引く不調を考えると、大山十五世名人晩年の成績が、なおさら目立つのだ。
しかも大山十五世名人は当時、連盟の会長職も兼務していたのだ。
目が回るくらいの激務の中で、この成績。私は改めて、大山十五世名人の凄さを感じたのであった。