広川町古墳公園資料館のパンフレットからである。括れの部分のすぐ上に小さな赤い四角がある。これが石人のいる所で、その後の少し大きな四角が石室のある場所である。ご覧のように石室は後円部のほぼ頂上にあるのがわかる。これでは古墳の大きさが測れないので看板をご覧頂こう。
この説明文に書かれていないが括れの北の部分に「造り出し」がある。当然に南の部分にもそれはあったのであろうが今は痕跡が判らないらしい。
丘陵地を利用して造られているので近くによっても古墳とは判りにくい。傍によると尚更で、100mを超すともうそれは小山である。
以前にも紹介したことがあるが沖出古墳などは見渡すことが出来るのでそれと判るのだが、ここはそれが出来ない。周囲を歩いて初めて判るのである。
何年か前に岡山の造山、作山古墳を訪れたことがあるが、山である。真横から、しかもだいぶ離れて見ないと判るものではない。
八女地方にこれだけ大きな古墳を造るだけの力を持った者がいたということだ。
ただし、筑紫の君磐井ではない。