岩戸山古墳の東方を見ていただくと判るように古墳群が横に並んでいる。本来八女の古墳は東から西へと延びていっているのである。このことは奥山から平地へと降りてきた。換言すればそれだけ力をつけて来て平野部を治める力がついてきたということである。最西端に到達したときは大和朝廷と結びついていたということでもあろう。ところが筑紫の磐井が現れるのである。
(全国古墳編年集成:1997 より)
石人山の上のラインは400年、鶴見山の下のラインは600年である。
古事記継体天皇記
この御世に筑紫の君石井(いはい)、天皇の命に従わずして・・・石井を殺したまひき。 このことを念頭にして考えてみるとこの後の話が面白くなるかもしれない。