本書は、岩波新書の8月の新刊。ひじょうに面白かった。
インドから、中国を経由して、日本へ仏教が伝えられる過程で、いろんな時代の、いろんな国の、いろんな人が関わり、今の日本語における仏教用語がある。中には、仏教用語と認識されていない言葉も多い。
作者は、そんな言葉を50選んで、最新のニュース・トピックスも取り混ぜながら、解説してくれる。蘊蓄も満載だ。
まず理解しなければいけないのは、音写と意訳。これは、知っていた。それから、中国の呉音と漢音。日本の音読に使われる読み方は、呉音と漢音があるが、仏教用語は、その伝来経路から、呉音が多いそうだ。
いきなり驚かされるのが、”仏陀”という文字。ここから、”仏”という言葉が出ているのだが、もちろんブッダの音訳。ここまではわかるのだが、音訳の際どの漢字を当てるかで、その言葉に対する感情がわかるという。”仏陀”の仏は、人弁に”弗”と書くのだが、”弗”の意味は、”不”だという。要するに、人であることを否定している。”浮図(ふと)”という文字もかつては、当てられていたそうだが、これも、感心しない字面で、著者は、仏教に対する中国人の違和感がこの漢字に表われているのではないかという。
”阿弥陀”は、ご存知のように、アミターバの音訳。帽子を阿弥陀にかぶるとよくいうが、これは、阿弥陀仏の光背のように帽子をかぶるところから来た用法で、近代からの用法。ちなみに、あみだくじも、光背が、放射状になっているところから名づけられたもの。
”韋駄天”という言葉もお馴染だが、これは、シヴァ神の息子であるスカンダを音写した私建陀の建を違(韋)に誤記したのだという。そのまま仏法の守護神となった。そんなのあり?
”盂蘭盆会”の語源については、サンスクリット語のUllambanaから来たと思われていたが、最近は、イラン語の死者の霊魂を意味するUrvanが語源とする説もあるらしい。日本から見れば、同じ西方からの言葉にはなるが。盂蘭盆会についての、中国、日本の土着信仰との関連についての考察も興味深い。
”刹那”という言葉は、サンスクリット語のksanaの音写とのこと。1 刹那は、玄奘によれば、1/75秒ということになるそうだ。この”刹那”という言葉は、中国でも、昔から、日常的に使われた。
”曼珠沙華”は、manjusakaの音写。まさに音写そのものではないか。山口百恵さんの歌を思い出した。もぷそろそろシーズンだ。それにしても、美しい文字を当てたものだ。
”地獄”は、サンスクリット語のnarakaの意訳。音写は、”奈落”なのだそうだ。こちらの方がびっくり。
”寺”という言葉。当たり前に使っているが、元々は、持つという意味だったそうだ。それが役所の意味に転じ、仏教が伝来した時、高僧が、役所であった”寺”に滞在したところから、今の意味の”寺”になった。出家者が住むsamgharamaは、音写された”伽藍”となった。
などなど。
面白くて、ためになる話が満載。
万人向けの良書。