かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

法隆寺金堂壁画

2011年09月17日 | Books
cloudrainsun今日は、神奈川県西部でゴルフだったが、たいへんな天気だった。朝出た時は、晴れてたんだけど、ついたら霧、霧も薄れてきたのでスタートしたら雨。こりゃたいへんだと思っていたら晴れ。ラッキーと思っていたら、にわかに雲に囲まれ、土砂降り。こんなことを繰り返している内に、本当の土砂降りになったので、残り2ホールで止めたら、晴れ。
こんな天気だったから、すいてたけど、どうせやるなら、やっぱり天気はいい方がいい。



本書は(といっても書というよりは、豪華写真集だが)、出版されたのは、知っていたが、あまりの高さにおののいて、買わないでいたら、NHKの番組で、本書の製作過程が紹介され、その文化的な意義の高さに、感銘を受け、思わずGETした。
同時に、写真が7枚だけ入った、より貴重版もでているが、それは流石に諦めた。本書でも十分豪華だが、こちらの方は、たぶん一枚一枚額に入れても、いいぐらいのものだろう(実際見てないからわからないが)。

法隆寺金堂の壁画と言えば、阿弥陀三尊像の脇侍菩薩(観音)が、もっとも有名だが、壁画全てをこんな感じで見たのは、初めてだ。感じたのは、形式にこだわっている絵が結構多かったんだなということだ。だから、画家の高い技量はもちろん前提になるのだが、それを上回る、お手本、ないしはこう書かなくてはいけないという強い決まりか何かがあったのだろうと思わせる。

無理もない。仏教が伝わってまだ間もなく、それも、遠いインドから、中国(場合によっては、韓国)を経て、細々と伝わって来たのだから、かなり決まった何かがなければ、ぐちゃぐちゃになってしまっただろう。
20ある飛天図などは、ほとんどコピーしたのではないかと思うぐらい似ているし、4面ある三尊像も、構図や表情が似ている。

構図が似ているといえば、敦煌石窟のものと構図はそっくりなのだが、菩薩の顔だけいえば、アジャンターのものの方に、より似ているようにも思える。
敦煌のものは、中国風になっているのに比し、法隆寺のものの方が、インドの仏教美術の最盛期であるグプタ王朝時代のものに似ているようにも見えるのだ。

解説も充実しているが、このインド臭さの謎解きに挑戦している論文が興味深い。タイミング的には、玄奘三蔵ら(その後にもインドに渡った僧がいたそうだ)がインドから持ち帰ったものを、遣唐使または、新羅経由で、超スピードで日本に持ち込んだことになるようだ。白鳳時代は、インド風が流行り?だったという。その前の飛鳥仏は、それに対し、中国風。
敦煌のものは、そこから中国風な味付けが加わったということか。逆に、インド直輸入の作風が流行する前のものということか。本論文には、敦煌の壁画については、触れられていない。

戦後、文化財が焼失したといえば、法隆寺金堂壁画と、金閣寺が思い出されるが、法隆寺の方は、戦前に撮影された、原寸大分割白黒写真と、フィルターを通した4色分解写真と、赤外線写真が残された。その原版から、原版に忠実に、このようなしっかりした本が著わされたのは、不幸中の幸いだ。
ただ、やっぱりせめて、この1/3ぐらいの値段で出して欲しかったかな。


コメント
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