かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

逆説の日本史 23 明治揺籃編

2020年10月08日 | Books
今日は、冷たい雨。
週末の天気も心配だ。



逆説の日本史23巻文庫版が出た。
早速ゲット。

まず驚いたのが、第一章が、ほとんど、マスコミ批判に費やされていて、その量が、本書の半分を占めていること。
今までも、何度か触れられてきたが、一挙に、おさらいも含めて、放出した感じ。
たぶんA新聞の過去の記事の誤りを認めた記事から、Iさんの論説掲載拒否問題と、大きく騒がれた時期で、その機会に、すべて最初から語っている。

この手の話に、眉を顰める向きもあるが、私は、もっとどんどん言うべきだと思う。
安部首相は、途中から、モリカケや、桜の会など、身から出た錆で、急に勢いをなくしたが、最初唱えていた、憲法問題をきっちり議論することは、必要であることは、たぶん明らかになっている。
井沢氏の論法でいえば、敗戦ですべてのものがひっくり返り、そこに、左派が牛耳るマスコミが、それまでの右派のように、反論を許さないような議論を続けた弊害が、残っている。
これは、我々世代の親の世代に顕著で、我々世代も、小中学校では、そう教えられてきた。
大学生、社会人になって、現実を直視せざるを得ない立場になると、このままでいいのかという考えになるのは、自然の流れ。

今もテレビの討論番組など、たまに見ると、とんでもない発言を、それが、当たり前のように、平気で発言する人がいて、不快に思うことがある(表現の自由だから、クレームをつけたりはしないが、その発言を聞いて、納得してしまう層があまりにも多いので、日本の将来が心配になる)。
これも井沢論法でいうと、江戸時代から続く朱子学絶対主義の影響となる。

第二章では、琉球処分と初期の日本外交の話になるが、そこでも、朱子学の悪影響がこの問題の根源にあるという展開。
全てひっくるめて朱子学のせいとなると、あまり意識していない私などは、ちょっと首を傾げたくもなるのだが、過去に起こった事実を見ると、そうでも考えないと、疑問が解けないことが多くある。
朱子学では、祖先が決めたこと、上が決めたことには従うのが人の道なのだ。

第三章は、廃仏毀釈の話。これについては、他書も結構読んでいたので、既知の話も多いのだが、面白かったは、明治政府の妻帯許可の話。仏教の力を弱めようというところから発せられたイメージで考えていたのだが、富国強兵のためではないかとの考え。
確かに、仏教は、殺生を禁じているから、基本的には、戦争での人殺しはよくないことになるわけだが、キリスト教でも、カソリックは、妻帯を禁じ、プロテスタントでは、妻帯を許し、プロテスタントの方が、国力が強まる傾向があったという。
仏教にプロテスタント的な思考方法を埋め込むと共に、政教分離を図り、国力(≒武力)を増そうとしたのではないか。
そして、日露戦争にまで勝ってしまった。
そこから、日本は、敗戦に向かって、転がり落ちるわけだが。

いろんな議論を呼び起こす本だが、頭の体操にもってこい?
コメント
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