リスペクトコラムです。
ブログ開設18年半にして初めてボクシングのリスペクト記事です。ユーリ阿久井選手、世界チャンピオンおめでとうございます。通常ならば取り上げる事は無いのですが、何しろ岡山県内ジム所属初の世界チャンプです。しかも地元倉敷市内の倉敷守安ジム所属。取り上げない理由はどこにもありません。ちなみに、普通にジムの前にある県道を毎日通って通勤しています。あそこから世界チャンピオンが出たんだなぁと感動してます。まずは山陽新聞の記事から。
【阿久井 世界王者 ボクシング 岡山県内ジム所属初】
「世界ボクシング協会(WBA)フライ級タイトルマッチは23日、大阪市のエディオンアリーナ大阪で行われ、倉敷市出身で同級1位のユーリ阿久井政悟(倉敷守安)が王者アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に3―0の判定勝ちを収め、王座を奪取した。岡山県内のジム所属選手が世界王者になるのは初めて。
世界初挑戦の阿久井は変則的な相手に対し、序盤から圧力をかけ、左ジャブやボディーを打ち込んだ。急所を捉えるには至らなかったが、終始前に出て22戦無敗の王者に土を付けた。
28歳の阿久井は環太平洋大在学中の2014年にプロデビュー。19年に日本フライ級王座を獲得し、県内ジム所属選手として38年ぶりの日本王者となった。3度の防衛を経て昨年1月にタイトルを返上していた。」
阿久井選手は、倉敷守安ジム初のプロ選手だった父、叔父の影響で倉敷北中2年で入門。翠松高に進み、アマチュアでは2度の国体で入賞し、プロ2年目の2015年に岡山県内のジム所属選手では初となる全日本新人王(ライトフライ級)を獲得。リングネームのユーリは元WBCフライ級王者の勇利アルバチャコフ選手にちなんだとか。岡山県出身の選手としても元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎選手以来だそうです。ちなみに辰吉選手も同じく倉敷市出身ですが、大阪帝拳ジム所属でした。
守安ジムの守安会長は、現役時代は日本ジュニアウェルター級王者で、世界ランクは3位まで行ったそうです。「岡山から世界タイトルを」で、33歳だった1987年に私財(300万円)を投じて農地の一角でジムをオープン。
世界戦では、'99年と'01年にウルフ時光選手のWBCミニマム級タイトルマッチを地元で実現させたが勝てず。世界戦の興行を行うために大きな借金を抱えても挑戦を続けた。阿久井選手が入門しても、マッチメークが難航するなど地方のハンディと闘ってきた。ジムにとって23年ぶりの世界戦で3度目の正直を果たしました。
倉敷守安ボクシングジムは、倉敷市の旧国道2号線沿いにある3階建ての建物で、1階がジム、2階・3階は守安会長の自宅。少し歩けば田んぼが広がり、ど田舎の「地方ジム」。現在会員数は50名程度で、うちプロボクサーは8人だとか。世界戦の前のコラムになりますが、地方ジムの実態と守安ジムの苦労がよくわかります。
【地方ジムからの世界王者は戦後3人だけ。岡山のど田舎ジムから世界に挑むユーリ阿久井政悟…“かませ犬”として地元判定に泣いた会長の悲願】
「歴代のボクシング世界王者は首都圏や都市部のジムに所属する選手が圧倒的に多く、地方ジム所属選手は世界挑戦すら難しいのが実状だ。そんななか、岡山県倉敷市にある小さなジムから世界王者が誕生しようとしている。」
〔地方ジム所属選手として稀有な世界挑戦〕
『スポーツの地域格差』はさまざまな競技で課題とされているが、プロボクシングの世界も例外ではない。地方ジムの多くは指導者やスパーリング相手が慢性的に不足している。世界王者を輩出したジムの所在地は首都圏や大阪・名古屋かその隣接県が大半だ。それ以外の地方ジム所属の世界王者(JBC公認)は、戦後プロボクシングの70年以上の歴史で沖縄県の平仲明信、福岡県の越本隆志、熊本県の福原辰也の3名だけ。絶望的に少ない。そもそも、地方ジムの選手が世界挑戦することさえ10年に1度あるかないか、というレベルである。」
「『地元で開催しとる自主興行は、よくてトントン。だいたいが100万円以上の赤字ですわ。でも選手を育てるには試合を組んだらんといかんですけえ』
守安ジムの守安会長はジム黎明期の1992年から自主興行をスタート。途中、休止期間はあったが、期待のホープである阿久井をサポートするために2016年に復活させた。そもそも守安会長が自主興行を開始した理由は別にある。『自分と同じように地元判定で悔しい思いを選手に経験させたくない』という思いからだった。
〔地方ジムのかませ犬から「岡山の星」に〕
「『今ではそんなことはないですが、当時は判定の贔屓がひどくて、名古屋や九州行ったら勝てんかったですよ』
1974年プロデビューの守安会長は、農協職員との兼業ボクサーで日本王者になった経歴を持つ。『岡山の星』として地元のヒーローとなったが、当時所属したジムは小さく、自主興行もなかった。現役時代の試合の大半は、アウェイのリングで不可解な判定で敗れることが多い“かませ犬”だったという。
『世界ランキング3位にまでなりましたが、当時の世界王者はアーロン・プライヤーという有名なチャンピオン。(国内でタイトル戦をするために)呼ぶには億単位のお金がかかったでしょう。地方ジムがそんな選手を呼ぶのは大変なことです。結局実現せず、4度目の防衛戦で負けて、それから1年後の1984年に引退しました』
〔4000万円をかけて臨んだ手作りの世界戦〕
「ユーリ阿久井政悟が所属する『倉敷守安ボクシングジム』にとって、所属選手の世界挑戦は3回目となる。1回目は1999年、2回目は2001年。いずれも当時、ジムのホープであった東洋太平洋王者のウルフ時光による挑戦だった。
1999年、守安会長は21歳の時光にすべてを賭けた。後援会などの協力を受けて4000万円を工面して、ジムの自主興行『桃太郎ファイト』で念願の世界戦を実現させた。場所は倉敷市営の体育館だった。会場の手配やマッチメーカーへの依頼、また放送局との契約など、興行の準備は守安会長がすべて直接あたった。だが、1度目の世界挑戦は惜しくも12R TKO負けで終わる。2年後に再び岡山で実現にこぎつけた2度目の世界挑戦も、3R TKO負けだった。
『チケット収入や協賛で助けていただいたこともあって1回目はとんとんじゃったが、2回目の世界戦は2000万円くらいの赤字でしたかねえ』」
このコラムで、地方ジムの実態がよくわかりました。そういう逆境の中で世界チャンプを生み出した守安会長の手腕はすごいと思います。地方ジムの多くは指導者やスパーリング相手が慢性的に不足しており、世界王者を出したジムがあうのは大都市圏ばかり。地方ジム所属の世界王者は、今まで3選手しかいないというのもある意味寂しい話です。
守安会長の現役時代は現役時代の試合の大半は、アウェイのリングで不可解な判定で敗れることが多い“かませ犬”だったという話もすごい話でした。今回の阿久井選手の快挙で、一つ地方ジムの扉を開けた感じですね。
自主興行は、よくてトントンで大体が何百万円の赤字になるのに、選手を育てるには試合を組まないといけないというのも大変な話です。ただ、昔と違って岡山にもトップスポーツチームが次々と生まれて、岡山の企業もスポーツへのスポンサードに慣れてきている土壌ができていると思います。なので、昔よりは興行資金を集めやすくなったのではないでしょうか。特に倉敷市内は倉敷のトップチームは少ないため、水島地区を中心に理解が高まっているし、今回の快挙で行政も動きやすくなっているのではと個人的に思います。
そして、ここでも出ました。「後援会などの協力を受けて4000万円を工面して」とありますが、やはり後援会なんですよ。後援会があれば地域に根が張れ、地域の支援者にとって他人事から、自分事になってくる。マンパワーの結集でヒト・カネが集まるようになるのです。正直後援会が無いクラブは今後も、地域に根を張るのがしんどいと思うし、その上のカテゴリに昇格するのもしんどいと思っています。「わしらだけでやるんじゃ」はもう通用しない。
阿久井選手も守安ジムも倉敷の誇り。前の道を通る時に、これからもアイコンタクトでエールを送りたいと思います。もっと広く支援者が集まるように、後援会なりファンクラブ組織でもっとオープンに運営されたらいいのにとも思います。
倉敷守安ジム公式HP:http://moriyasu-gym.jp/
〃 公式X(旧ツイッター):https://twitter.com/r_moriyasu626
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