|
< |
< < |
毎年1回開催されるNサークルの旅行の3日目は、宗谷岬観光だった。礼文島香深港8時45分発のフェリーで稚内港へ戻った。約1時間のバス旅行で宗谷岬についた。
利尻島礼文島観光はこちら ↓ 香深港へ入港するフィールズ宗谷号 |
↓ 見送りをする人たち |
↓ フェリー上から見た礼文島 |
↓ 間宮林蔵渡樺の地記念碑(走るバスから撮影) |
↓ 間宮林蔵渡樺の地記念石碑(走るバスから撮影) |
↓ 日本最北端の地記念石碑(三角錐のデザインは北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフにしている) |
↓ 宗谷岬歌碑 |
↓ 宗谷岬歌碑 |
↓ 最北端緯度表示 |
↓ 宗谷岬表示板 |
↓ 宗谷岬表示板 |
↓ 宗谷岬展望台 |
↓ 祈りの塔(昭和58年に起きた大韓航空機追撃事件の遭難者の慰霊と、世界の恒久平和を願う記念モニュメント) |
↓ 宗谷丘陵・宗谷岬肉牛牧場(この丘陵は、1万年前、地球最後の氷河期の名残りの地形) |
↓ 宗谷岬牧場から海岸を見る |
↓ 子育て平和の鐘(右後ろの風車の建物はゲストハウスアルメリア) |
↓ 子育て平和の鐘石碑 |
↓ 世界平和の鐘 |
↓ 世界平和の鐘石碑 |
↓ ほたての化石群 |
↓ 宮沢賢治の碑 |
↓ さるふつ村の緯度経度 |
↓ インデギルカ号遭難者慰霊碑 |
↓ インデギルカ号遭難者慰霊碑 |
↓ インデギルカ号遭難者慰霊碑 |
↓ 猿払村施設(漁業と酪農が基幹産業のむら。インディギルカ号遭難慰霊碑をシンボルにロシアとの交流が活発) |
|
|
毎年1回開催されるNサークルの旅行の2日目は、”夢の浮島”利尻と”花の浮島”礼文島の島内観光だった。朝6時半発のフェリーで稚内港から利尻島鴛泊港へと向った。
↓ 稚内港停泊中のフェリーの乗船口 |
↓ フェリーの乗船口が上げられ出港する |
↓ フェリーから見た稚内港 |
↓ フェリーから見た稚内港と通過跡 |
↓ 利尻島ベシ岬が見える |
↓ 姫沼 |
↓ 姫沼にある湧水池 |
↓ いたるところにマイズルソウが群生 |
↓ 姫沼休憩舎 |
↓ 姫沼の吊り橋想い出橋 |
↓ オタトマリ沼 雲で利尻富士は全く見えない |
↓ やっと少し頭を見せた利尻富士(お菓子の「白い恋人」のパッケージの写真はここからの写真だそうだ) |
↓ 仙法師御崎公園 |
↓ 仙法師御崎海岸 |
↓ 仙法師御崎公園からベシ御崎の灯台を見る |
↓ 利尻沓形港を出港し礼文香深港に向う |
↓ 礼文島香深港に着く |
↓ 澄海岬(すかいみさき) |
↓ 澄海岬海岸 |
↓ レブンアツモリソウ(群生地の開放は21日で終了。道路側から眺める。雨降りだったが、やっと撮影できた) |
↓ スコトン岬 |
↓ スコトン岬からトド島を見る(霧雨と風に悩まされた) |
↓ 宿泊先の三井観光ホテル |
|
↓ エンレイソウ |
↓ オダマキ |
↓ カラフトダイコンソウ |
↓ センダイハギ |
↓ チシマフウロ |
↓ ハクサンチドリ |
↓ ハマエンドウ |
↓ ハマナス |
↓ ヒメイズイ |
↓ マイズルソウ |
↓ ヨツバシオガマ |
↓ レブンアツモリソウ |
↓ 水芭蕉 |
↓ アヤメ |
|
「日本最北の楽園”夢の浮島”利尻、”花の浮島”礼文」の旅の初日は、雨と風との戦いで、楽しみにしていた”サロベツ原生花園”では、傘をさしての見学で、カメラを出すどころではなかった。宿泊先の稚内まで、日本海オロロンライン通過の際、バスの中から「利尻富士」が見えるはずだったがこれも×。しかし、車窓からは「エゾカンゾウ」の黄色い斜面は沢山見られた。
日本最北端の駅「稚内駅構内」 |
最北端の線路 |
これから先は線路が無い |
|
毎年1回開催されるNサークルの旅行は、「日本最北の楽園”夢の浮島”利尻・”花の浮島”礼文の旅だった。 ユリ科ワスレナグサ属 エゾカンゾウの群生 |
エゾカンゾウの花 |
エゾカンゾウのいろいろな顔 |
|
|
< |
< < |
夏椿の花
近所のE家の夏椿が咲き始めた。 ツバキ科ナツツバキ属 開花したナツツバキの花 |
間もなく開花するナツツバキの蕾 |
実が成っている様に見えるナツツバキの蕾 |
|
久しぶりの息抜きで温泉に行く途中よった郡山緑水苑の思い出のアルバム。 撮影 2006年6月5日午後3時半ころ 小さい画面にマウスを乗せると拡大します |
アルちゃんの記念写真に戻るには < |
|
西光院でまだ若い1本のアジサイに、蕾から開花した花まで、 |
上の番号とあわせて見てください
下の小さい画面にマウスを乗せると花の名前を表示して、拡大します |
アルパパのミニガーデンに戻るには < |
|