先程、「風林火山」のHPを覗いたら「摩利支天」の事がトピックスとして載っていました。
あら、なにげにショック
どうしてかと言うと、夕べウィキペディア(Wikipedia)でお勉強したのですよ、私。次回のタイトルにも出てくるこの「摩利支天」は、背景理解のポイントかなと、ふと思ったので。めちゃくちゃ、倒置法文章ですね。。
見る順番間違えてしまいました。HPに詳しく写真入で出ていましたよ。
でも、一応
「サンスクリット語でMarici。摩利支は音写である。Mariciは太陽、月の光線を意味し、摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したもの。陽炎は実体がないので、捕らえられない、傷付かない。この「傷付かない」と言う特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。」
ふ~ん、知らなかったわ。ちなみに御嶽山の方に摩利支天山なんてものがありますね。何か由来でもあるのでしょうか。
今回は勘助が故郷を捨てるまでのお話で、二組の兄弟の戦いが絡みます。一組は勘助とその兄。また一組は後の信玄である勝千代とその弟です。勝千代と弟はまだ火種と言う所ですが、勘助は故郷を捨ててしまいます。
その地を去ることが、故郷を捨てるということではありませんね。15年放浪していようとも、勘助は故郷には別れを告げてはいませんでした。
多くの人は生まれ育った地を離れ、またそこで自立した人生を送っていますが、だからといって「さらば故郷」と、別れは告げません。
自分を思う父、母がそこに住んでいる。同じ時を過ごした兄弟姉妹、又は縁者が住んでいる。それだけで故郷は、そこにあるもので、どんなに離れていても別れを言う場所ではありません。
父母も亡くなり、戻ってきても養父の重荷になってしまうことが分かり、兄とも対立してしまった勘助にとって、去り行く故郷は、別れを言う場所であったのでしょう。
心のあるべきところに鎮座する故郷。それを捨ててしまえば、その空間には風が吹いていくだけ。勘助と言う男は、心の中に吹く風を受けながら歩いている男なのだと思ってしまいました。
その風を止めるのは、勘助の帰りをひたすら待つミツの存在だと思うのです。新たな展開に期待したいです。が、次回のあらすじなんかを読んでしまうと、一抹の不安が・・・・・・・
それはともかく、自分を欺いた養父に対する言葉などに、切り替えの早さの聡明さと優しさが滲み出ていて、またもかっこ良かったですね。