森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

100万回生きたねこ

2007-01-06 18:53:10 | ユーモレスクを聴きながら(book)

年に二回、本の読み聞かせをするチャンスがある。夏と冬に子供達を招いて、ささやかなパーティをしているが、その時本の読み聞かせをする事にしている。と言っても三回目。今までに読んだ本は「あらしの夜に」。映画で話題になる前から、絵本でスリルとサスペンスをどうぞと薦めていた本。「おじいさんがお化けになったわけ」。ちょっとこれは読み聞かせには長すぎた。


 でも、この本を読むのは難しいと思っていました。なぜなら、途中で泣いて読めなくなってしまうからです。この本との出会いは、NHKの番組名を知らないのですが、朗読の時間が有るでしょう。その時、読んでいたのは樫山ふみえさんでしょうか、たまたまかかっていたテレビで見たのですよ。
 もう涙ぼろぼろです。

 でも、この作品は1977年が初版なんですよ。
私もこの本を知ったのは、つい最近のことではありません。それなのに、なぜ、この本を自分の子供達に読んであげなかったのか悔やまれます。

本好きのラッタ君は、もう本を読んでもらう年齢ではなく、ルート君はその頃、本なんか見向きもしない子供だったからでしょうか。

100万回死んで、100万回生きた猫のお話。結構知名度高い本ですが、意外と内容までは知らない子供が多いのです。

「あるとき、ねこは」 王様の猫だったり船乗りの猫だったり、また泥棒の猫だったりします。
―100万ページあるんですか。― 子供の声が飛びます。読んでる途中だったので
―『あるとき』とあるでしょう。「ある時は」という意味ですよ。―と言ったら納得していました。その程度で納得するなら、もう少し発言を待てと思いながら、読み進めていきましたが、やっぱり、辛かったですね。涙をこらえる事が。

王様も船乗りも手品師も泥棒も、おばあさんも女の子も、猫が死ぬと大きな声で一日中泣きました。

愛するものを失った悲しみが伝わってきます。だけど、猫は泣いた事がありません。自分の事しか、好きでなかったからです。
だけど、やがてそんな猫にも・・・


『100万回泣いて・・』と言う言葉が出てきます。

子供が言いました。
―100万回生きて、100万回泣いた話だったのか―



― 人は自分以外の誰かを愛して、初めて生きたと言えるのかも知れないナァ ―

コメント (4)
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