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PLUTO 8 (ビッグコミックス) 浦沢 直樹 小学館 このアイテムの詳細を見る |
ついでながら、映画ブログ「近未来二番館」のお知らせです。
「MWムウ」を見てきました。その感想はこちらです。→ココです。
7月4日は、結果的には私にとって手塚治虫ディになってしまいました。映画の「MWムウ」を見て、原作が読みたくなってしまった私は、帰りに本屋に寄りました。だけど、夫を待たせて漫画を探すと言うのも落ち着かず、見つからないまま帰ろうとしたら、新刊コーナーにこの本を見つけたのです。ダブって買ってもと思いラッタ君に電話を入れました。
私は「あれ、これ、それ」で会話を成り立たせようと言う、エスパー人間に変身中。
「今本屋にいるのだけれど、アレ、アレは買ったの?」
「『プルートウ』だな。買っていないから買って来て。」
「そう言えば、アレの18は読んだんだっけ?」
「『百鬼・・』だな。それは表紙じゃ判別できないよな。新刊コーナーにあるんじゃ、読んでいないんじゃないの。」
ある意味恐ろしい。
私の未来が。
映画の「MW-ムウ」は面白かったです。でも、涙は無縁の映画でした。だけど、「21世紀版 鉄腕アトム 最終巻!!」の「PLUTO8」は泣きまくりでした。
手塚治虫ディと言っても、遠い昔に彼はいなく、「PLUTO8」は浦沢直樹と長崎尚志の作品です。でも、人は消えても作品に心が残る。「PLUTO8」には手塚治虫の心が伝わっていて感動しました。すなわちそれは浦沢直樹作品への共鳴と言えるのかも知れません。
<以下ちょっとネタバレ感想です>
「Act.57心の行方」
その章のラスト。憎悪によって目覚めた最強ロボットアトムが雨の中で、カタツムリをそっとつまみあげるシーン。それを雨に濡れながらじっと見守る御茶ノ水博士。そのカタツムリを葉の上に戻してあげるアトム。そして、
「もう大丈夫です。御茶ノ水博士・・・」。
そのアトムを涙ながらに抱きしめる御茶ノ水博士。
「アトムや」
このシーンから涙ハラハラです。
愛するものを本当に慈しんでいる。
浦沢直樹はそういうシーンを描く天才です。
また私の子供時代に、心に栄養をくれた様々な物の中に、この「アトム」の物語はしっかり存在していたのです。そのシーン、セリフがアニメで御馴染みの声優さんでしっかり聞こえてきました。
あまりに人間の少年であった、浦沢版アトムは、このシーンから私にとっては「アトム」になった、そんな感覚がしました。
最終巻に相応しく、今までのシーンを上手くフラッシュバックさせながら、物語は一気に加速し、収束に向います。原作の世界とラストに見事に重なっていく過程には、うなるものを感じました。
最終巻はアトムの物語。でも、そのバックにはしっかりと、この物語の主人公であるゲジヒトの物語が存在していたのです。
以前電車の中で読んではいけない漫画に「聖☆おにいさん」や「デトロイ・トメタルシティ」などの名前をあげた事がありますが、この「PLUTO8」もそうかも知れません。でもそれは笑いを我慢すると言うのではなく、不覚にも涙がこぼれると言う点で危険です。
「ロビタ」
「地球が終わっても、おまえを離さないぞ」
本当に泣けますよ~
「 Act.62ゲジヒトの遺言」で、アトムが一人一人の名前を言いながら
「死にたくなかったんだ。」と怒りの鉄拳を振るう所では、今までの物語が思い出されました。
私は美しいがゆえにエプシロンに肩入れですが、ノースニ号の物語も大好きです。
「憎悪からは何も生まれない。」それがゲジヒトの遺言でした。
自らを犠牲にして地球を救ったプルートウは史上最強のロボットだったと、私は感じてしまいました。
だけどアトムは戦う事の空しさを知るのでした。
アトムは御茶ノ水博士に
「憎しみのなくなる日は来ますか」と問いかけます。
それは消えて逝った者達の祈り・・・
やっぱりこの物語は、元の手塚版から本当に傑作でしたね。
そうしみじみと思いました。
我が家では、と言っても私とラッタ君とだけですが、漫画家に「天才」と冠を付けると、それは浦沢直樹氏の事を指すのですが、その彼が再びこの物語を21世紀版で蘇らせてくれた事は、嬉しい企画でした。
長すぎずすっきり終わるので、「アトム」が懐かしいあなた、「アトム」を知らないあなた、この先ロボットの人権ってどうなってしまうのだろうと不安に感じているあなたにお薦めできる作品です。