とある時、あるブログで「もうすぐ1000記事」、そして「1000記事目」というのを見かけて、まだぜんぜん及びもしなかった私は、なにやら凄いなと感じたのでした。
「継続は力なり」。1000記事書いたら、そこに何かが見えてくるのだろうか・・・・
また最近になって、映画ブログの方でリンクしていただいている
「或る日の出来事」様で、1500記事達成の記事に出会うことが出来ました。
その時、私は自分はどうなんだろうと気になりました。もちろんgooブログの編集画面には、記事数が入ってはいるのですが、なにぶん私はメモ書き草稿が多くて、公開記事数の把握が出来ていませんでした。それで整理整頓してみました(『メッチャ、忙しい』と言いながら、こんなことをしているんだな、アタシ。)
この「森の中の一本の木」は、現在863記事で、この記事で864記事になります。1000記事まで136。今年は残りが169日だから、下手をしたら(何が下手なんだか?)年末に1000記事祭りになってしまうかも知れません。「祭り」ってなんだと言う所ですが、私、一人でお祝いしちゃいます。昼間っから一人でワインとチーズとチョコレート。ラベンダーのお香の香りの中で、費やしてしまった膨大な時間に、鎮魂歌なんかを詠ったりして・・・
―ちょっと、アホかいな。
それはともかくとしてですが、私は三つも一応ブログを持っているんですね。映画感想用の「近未来二番館」と日常日記だった「梢は歌う」です。「梢は歌う」は、一度は更新停止にしたのですが、題詠ブログの為に再開しました(今は停滞中)。かって日記だったので記事数も多くて、568記事ありました。「近未来二番館」は73記事。
うっかりしたなと、ふと思いました。あわせて1000記事でも良かったのになと思ったからです。どう考えても、1000は超えてしまっているじゃないですか。で、足すと1504で、この記事で1505になるのでした。
1505。
863とか568とか言っていたときには、何も感じなかったのに、この「5」と言う数字が並んだ時に、ふと、意味とか意義とか、何かを感じてしまったのです。数字には不思議な感覚がないですか。
もちろんこれが、あわせて1499で、この記事が1500目だったら、もっと吃驚してしまうと思うのです。別に何に驚くのか不思議ですが、その偶然が絶対に嬉しく感じると思うのですね。
でも、この出てしまった部分も「5」だから、「5」出てしまったのは、私らしいナみたいな、私自身の個性に感じたりもするのです。この数字が「2」とか「1」だったら、この記事自体が存在しないと思います。
数字にはいろいろなロマンがあると思います。ちょっと意味不明に感じるかも知れませんが、それに気が付くと、その扉が開く・・・。何に対してもそうなのではないかと思います。
例えば、私はスポーツ観戦にはあまり興味がないのですが、好きな人がそこにある壮大なロマンに打ち震えている時、「あまり」の私は「へえ~」と思っている、そんな感覚かもしれません。
横道に逸れましたが、ふと思いました。なぜ「5」と言う数字に意味を感じるのだろう。で、「『5』と言う数字の概念」とか「なぜ人は1000とか100に拘るのか』とか調べてみました。いつもならこの後に、なるほどと思った事を纏めたりもするのですが、今はそこまでやる時間がないのでふって置きながらふりっぱなしです。
そう言えばラッキー7と言いますが、なぜ「7」はラッキーな数字なんでしょうか。今、ふと思いました。こんな風に書くと「23」に取り付かれた男の話を思い出しますね。「ナンバー23」、ジム・キャリーの映画の話です。数字と言うのも意識してみると、なかなか面白いものがありますね。
という訳で、私らしさの「5」と言う数字が出てしまい、キリが良いというわけではありませんが、印象深い数字だったので書きとめてしまいました。
あわせて2000と言う日は、まだ遠いとは思いますが、その日がきたら、やっぱり私はしみじみとしてしまうと思います。
まあ、とりあえず、この「森の中の一本の木」が年内1000にいくかいかないかと言う所。でもそれもケセラセラ・・・。