森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

WOWOWで「ムサシ」

2009-07-19 09:44:26 | 観劇・コンサート日記

≪呼吸する舞台≫

18日にWOWOWで「ムサシ」を観ました。

舞台はやっぱり生きている、そんな事をしみじみと感じました。

やっとの思いで手に入れた私の舞台鑑賞の場所は、舞台からかなり遠かったのです。
今回とその時の感想とはいろいろと違かったのも、それも面白いことだと思いました。

 舞台鑑賞の感想はこちらです。→「ムサシ」

映像で観た「ムサシ」は、もちろん表情もはっきりわかります。加えて、それはそれを映している人の視点というのもポイントになってくるなと思いました。

なぜならセットの組まれ方ですが、自分の目で観た時も、やはりその美しさに感動しましたが、映像で視野を絞って見せてくれたので、よりいっそう幽玄の美を感じることが出来たのです。

記憶違いもたぶんにあるかと思いますが、さりげないセリフや演出が違っているように思いました。

私が観た時には、唯一平板に感じた幽霊たちの告白の場面でしたが、それが今回観てみるととてもよく感じました。彼らの気持ちが痛いほど伝わってきたのです。

―どんなにつまらない一日であったとしても
    悲しい一日であったとしても・・・・・
      その一日がいとおしい

いつもながら正確なセリフではないのですが、しみじみと「生きる」という幸せのようなものを感じたのです。

きっと彼らは二度と会わないに違いない。でもかけがえのない「時」を彼らは共有したのだと、旅支度の沈黙の芝居の中で、再び感じました。

そして、やはり何度観ても良かったのは、ムサシの言う
「友人です。」という言葉。

だけどここでも、顔がはっきりと見えると違うものがありました。彼らの中に生まれ刻まれたものが伝わってきてジーンときて、ちょっと、その一言にウルッときてしまいました。

細かいことを何点か。

いろいろ忘れていました。かちかち山のあだ討ちは、ウサギをスパッと切って、鵜と鷺になって飛んで行ったと言うオチがあったこと。去っていくムサシに柳生が江戸に出て来いと誘うシーンとか。徳川指南役の道が待っていると言うおいしい誘惑を振り切って、ムサシは去っていったのですね。

日替わりサービスのような5人6脚。舞台から落ちそうでしたね。しかも言葉が出なくて竜也君もピシャピシャ叩かれていました。実にナイスでした。あそこはそう言うシーンですよね。猿楽があったり能があったり、喜劇があったりで盛りだくさんでしたね。

ムサシが言う、35歳。これは舞台を観ていた時は、つい笑ってしまったのですが、しっかり顔が見えたら彼は35歳だと思いました。

それからもうひとつ。なぜ私は小次郎を生きていない人に感じてしまったのか、今となっては不思議です。怨みつらみが多すぎたから?
それも顔をしっかり見ていると思いもよらないことだったのです。小次郎の表情は生き生きとし、煩悩の塊でいとおしかったからです。

やっぱりお芝居は奥が深いです。もちろん本も映画も観るこちらの気持ちしだいで、見方や感じ方いろいろ変わると思います。でも日々変化し呼吸するかのごとき生き物であるお芝居にも、またかけがえのない魅力がやっぱりあると思いました。

 

ところで、ちょっとバタバタしていてゆっくりと見ることが出来なかったのが残念だったのですが、お芝居終了後に主役三人のインタビューがありました。

蜷川さんの家に行ったこと。鎌倉に行った話。面白かったですね。鎌倉には遠足のような気持ちだったと杏ちゃんが言えば、セリフを言わなくて良い日があったのが嬉しかったと小栗君が言う。楽しい雰囲気が伝わってきました。禅寺の禅修行の映像は笑えました。小栗君は希望して打ってもらったのに、隣でつい笑ってしまった竜也君も打たれてしまいました。結構痛そうでした。

お話は前後しますが、台本が一日5ページとか仕上がってくるので、ホッチキスをあんなに遣ったことはなかったという話や杏ちゃんがおつうさんをやると思っていたという話(私も思っていました。)も、興味深く聞きました。

でも特に印象深かったのは、二人(小栗&竜也)は二度とやらないだろうと言ったことだったかもしれません。

                            

その番組が終わったとたんに靴を履いた私でした。

 


       


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