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MW(ムウ) (1) (小学館文庫) 手塚 治虫 小学館 このアイテムの詳細を見る |
前の「プルートウ8」の記事で、映画を見たら原作が読みたくなったと書きましたが、アマゾンで注文したらすぐに来て、早速読んでみました。
私は確かめたかったのです。
結城と賀来の描かれ方もそうですが、そのラストの物語の終わらせ方も。
これは他の方とは違う感覚かもしれませんが、意外と映画と原作は同じなんだと驚きました。
もちろん設定から物語に至るまで、いろいろ違います。その違い度は80パーセントぐらい。でも同じに感じる。こういうのを「同じ世界観」というのでしょうか。
ラッタさんが聞きに来ました。
「映画も同じような終わらせ方?」
「うん、まあ。そんな感じ。・・・・なんかね、いろいろ同じだよ。でもホモシーンはナシだけどさ。」
そんな堂々と子供とそんな会話しちゃっていいのかとは思いますが、サラッと言っちゃったりして・・・
「そりゃあ、そういう設定にしてはテレビでガンガン宣伝できなくなっちゃうよな。」
でも、この映画はそんなにガンガン宣伝したのを見た事がありません。
それはともかく、映画ブログの方ではネタバレしないで感想を書きました。なぜなら原作を読んで確かめてから書きたいと感じたからです。原作は終わらせ方が違うのではないだろうか。そう私は思ったのですが・・・。
手塚治虫の漫画は少年向きであっても、実はその生と死に対して非情であり無常です。(もちろん私の考えに過ぎませんが)
永遠の命がテーマであった、「火の鳥」にはそういう場面が多数見られたと思います。子供の頃読んだいくつかの作品もそう。
果てしない時の流れ、あまた多くの人の命の前では、一人の人間の命があっという間に消し飛んでいくような、時にはそんな描かれ方がされている手塚漫画だと思います。でもその軽さの向こうから心に真っ直ぐに突き刺さってくる重さがあると思うのです。
私は結城にその軽い死と言う断罪が成されているのではと確認したかったと言うわけです。
その先のネタバレはしませんが、正直な感想を書かせていただきますと、後1ページ分何かが欲しかったと思います。世界に誇る巨匠になんてことを言うんだとは思いますが、思ってしまったのだからしょうがないのですね。
ドラマや映画の制作には時間という制約がありますが、雑誌掲載の漫画にはページと言う制約があるのだと、ふと感じてしまったラストシーンでした。
結城はMWと言う毒ガスを少年期に吸ってしまったがゆえに、人格障害を引き起こしてしまった、いわば被害者だったと言えるかも知れません。
ですが、映画の感想にも書きましたが、この物語はそういう破壊兵器にも等しい一人のモンスターの恐ろしさを描いているのではと思いました。原点は「個」「一人」。
その性格は違いますが、多くの人の人生を狂わせた耐震偽装の事件が、その元をただしていったら、たった一人の強欲が原因だったように。また昔も今も、狂った一人のカリスマに多くの人が惑わされ付いていってしまった悲劇もあったかと思います。
そして確認したかった、結城と 賀来のかかわり。原作には私が見たかったものがしっかり描かれていました(注:彼らのラブシーンではありませんよ。手塚漫画のラブシーン、あまり見たくないし。)
映画の感想は一応こちらです→★
<という訳で、ココからは映画の内容も含めてネタバレです。>
映画の中で、賀来が海に落ちるシーンがあります。物語の進行上、あそこで賀来と別れなければならなかったのは分かりますが、私には不完全なシーンにも思えてしまったのです。
なぜ結城は暗い海の中に飛び込んで、必死になって賀来を探さないんだろう。暗い海の中から這い上がって、見つからなかった事に失望しながら
「大切な玩具を落としてしまった。」と言って欲しかったのです。
結城にとって賀来は、自分の弱点をさらして助けを請える唯一の男だったと思います。もちろん映画の中では、ホモセクシュアルな関係ではありません。それでも、自分の人格さえを壊してしまったMWの、恐怖の共通体験を持った男、言うなれば、自分から飛び出てしまったもう一人の自分のような存在ではないのだろうかと、勝手に感じてしまったのでした。
美しき結城にとって、愛欲の相手に不自由する事もなく、またそれらの相手は、玩具や道具にしか過ぎないのです。その死に何の痛みもなく、笑いながら殺戮する彼ですが、その結城でさえ賀来は特別な存在だったのではと思います。
「お前は裏切らない。」と言いながら、内心ではそうは信じてはいなく、でも裏切られても、それに見合う残酷な罰を与えながら、決して手放そうとはしないそんな関係・・・・
映画の中で、飛行機の中からMWを持って海に飛び込んでしまう賀来の最後は原作と同じでした。
でも映画の中の結城は、確かにうろたえてはいましたが、MWを失ったためにも見えました。でも原作は、人の死に何の痛みを感じないモンスター結城が、声を押し殺して泣くと言う一こまがあるのですが、見逃してはいけないシーンだと思いました。そして、そこが確認したかった部分でもありました。
ホモセクシュアルであるという設定を外した事は、別にどうでも良いことですが、必要であった部分まで見逃し削いでしまった、ゆえに、映画は作品自体も軽くなってしまったなと思ったのが、正直な感想だったかもしれません。
でもアレは玉木宏がカッコいいからいいのかな(どうでも)。
ただ、ふと思うのは、子供時代から手塚作品を愛して、その流れゆえに誕生してきた「プルートウ」とは、歴然と差が出てしまったなと思ってしまったのでした。
この作品は「アドルフに告ぐ」のように大人のために描かれた、手塚作品が読んでみたいなと思っている方にお勧めできる作品だと思います。