叔父上殿は昔から母をサザエさんのような人と呼ぶ。
そしてさしずめ自分はカツオだなとも言う。
今日は2013年に亡くなった父の誕生日でした。
それで母と姉妹と叔父夫婦とで墓参りに行ったのでした。
ふと、
「ああ、今日は13日の金曜日だな。」と思いましたがクリスチャンではないので、何ら関係もないことです。
墓参りの後、みんなで「龍泉寺の湯」と言う街中温泉に行きました。
父は生前から、墓参りの後はみんなで近くにある動物園に行ったり、そのような街中温泉に行って楽しむがいいよと言っていたので、その父の言葉通りの行動です。
「龍泉寺の湯」でのお食事時には、叔父夫婦も一緒でしたので昔話に花が咲きます。小さな頃から私たち姉妹を可愛がってくれたこの叔父夫婦が、私は大好きなのです。
「私はね、姉ちゃんにはどうしても甘えちゃうんですよ。」と彼は言いました。
「弟がばあちゃん〈叔父の母の事〉にべったりだったものだから、私は姉ちゃんにべったりで・・・・・・・・非常に密度の濃い子供時代だったから、どうしても・・・・今でも会うと甘えちゃうんですよ。」
それを聞いて、私は母から聞いた疎開時代の話の事を思い出していました。
疎開先で母屋で食べていたトウモロコシを外孫の母たちにはくれなかった意地悪なお婆さん。僕も食べたいよと母にすがったのは、この叔父さんだったのです。→「家族の歴史を語り合おう」
その叔父さんが、ある話をしました。
妹が
「その話、聞くたびに笑っちゃうわ。」と言いました。
「私も、話すたびに面白く感じますよ。」
母も叔父もみんなすごく若かった昔。
父と叔父とその友人とで、母の庭の片づけをした後の昼食時に
「Mさん、おかわりはいかがですか。」と母が言う。
皆若い頃なので、二杯目のおかわりの後で、更に母はそう言ったのでした。
Mさんが「それでは、後ちょっとだけ」と茶わんを差し出すと、母はお櫃の底をがりがりと音を立ててご飯をよそったと言う話。
父が見かねて、「もうないのではないか。」と言ったり、そのMさんも「あっ、いや、お腹はいっぱいでした。」と言ったりと話は膨らんだりもしましたが、私も何回か聞いたことのあるお話でした。
でもこの話を、子供の時に聞いても、私はあまり面白くは感じなかったのです。
ある時は、母の行動が恥ずかしく感じたりしたのかもしれません。でももっと大きくなった時には、母のそんな性格が分かっていたからだと思います。
母は無いものだって人に分け与えようとする人なのでした。
「施す人」と言えば聞こえも良いのですが、身近で見ていた時には、時には苛立つこともありました。
「少年H」と言うお話の中に登場するH少年の母に、わが母はほんのわずかな部分ですが被る所があるなと、私は思っているのです。
でも今日、何度か聞いたその話を聞いた時、私は思わず笑ってしまいました。
なぜなら、その話がサザエさんの四コマ漫画で脳内変換されたからです。
― お上品な顔をして「おかわりはいかがですか。」と言うサザエさん。
― 「じゃあ少しだけ。」とお茶碗を差し出すMさん。
― お櫃をがりがりと力いっぱい削ってるサザエさん
― びっくり驚き飛び上がってるマスオさんとカツオ君とMさん。
確かに可笑しい。
でもなぜサザエさんに脳内変換されたのかと言うと、シーンを墓参りの所に巻き戻します。
先に着いた叔父夫婦がお墓のお掃除を終わらせてくれていたので、みんなでお線香をあげながら一人一人が手を合わせた後、みんなでお題目を三回唱えて終わる事にしました。
その後、お墓に備えたお供物の羊羹をそこで切り分けて頂くと言うのが、母の考えたプランだったようです。
姉がその羊羹の包み紙をピリピリと破きかけた時に、ふと私は母がいつものようにバッグに父の写真を忍ばせている事を思い出し、「写真、せっかくだから今だけ出そうよ。」と言いました。
私的には、今ここで、みんなで羊羹などを頂いてワイワイとしばしの間するのに、父にもその円陣の中に居てもらいたいと思ったからだったのですが、みんなはせっかく持ってきた写真を出し忘れたと言う気持ちになったようです。
もう一回父の写真の前でお題目をあげる事にしました。
慌てて羊羹を、そのまま元に戻す姉。
包み紙はピリピリと切れたまんま。
戻したのは姉なんですよ。
でも、すかさず叔父さんの
「まったく、姉ちゃんちはサザエさん。」と言う小さな呟きが間髪入れずに聞こえて来て、私は「な」と言った後、おかしくって続きも言えずにくすくすと笑っていました。
「花ちゃん、不謹慎だったぞ。叱られるぞ、お父さんに。」と叔父さんが言いました。
「ううん。お父さんはきっと一緒に『まったく~』って笑ってるよ。」と私が言うと
「ああ、本当だ。かずさんは良い顔をして笑ってる。」と叔父さんは写真の中の父を見て言いました。
私にも、父はいつも以上に笑っているように感じたのです。
「龍泉寺の湯」は岩盤浴も種類がたくさんあって、なかなか楽しい所でした。お風呂も炭酸の湯と電気の湯はかなり気持ちが良かったです。また横浜に行った折には頻繁に行きたいと思いました。
楽しい時間はあっという間に終わりです。
母が
「さあ、帰ろうか~。帰ろうね~。」と言いました。
それは子供たちを諭すようなずっと昔から変わらない言い方でした。
私はなんだか切なくなり、「うん、帰ろうね。」と短く答え、そしてみんなそれぞれの家に帰ったのでした。