森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

言葉を紡いで その3

2015-11-30 16:23:55 | メモリーズ

たった53の詩でも、あの時この時と書いた日の想い出は昨日の事のように思い出されるのです。

10年ひと昔と言いますし、過ぎた日はあっという間だったように思います。ですがそのあっという間のその日々は、大きな10年だったかもしれません。

言葉を紡いで その2」の続きです。

 

 

このブログを開いた時の一つのテーマは、それは「過ぎた過去の日々」でした。さりげなく自分史を織り込もうと考えていたのかも知れません。その過去の日々には、通り過ぎていった人々の想い出があるのです。会いたくてももう不可能になってしまった、若くして逝ってしまった人たち。

心の中で  過ぎていった者たちの手を取りて
僕は 語りかけている

僕は  忘れないよ
僕が  覚えているからね

僕は  忘れないよ
僕が  覚えているからね

それから僕は」より

 

ただこの詩とやはり対になっているひとつ前の「あの頃 僕は」を読むと、私の中の小さな野心を感じるのです。

捨てきれなかった夢の欠片を握り締め

― 私は生きる!! 生きる私の中でみんなも生きているんだよ。

そんな想いを感じるのです。

 

それから10年が経って、今の私は静かに自分の「老い」を見つめています。その準備は出来ているのか。

今年になって詠んだ「気まぐれに」はそんな詩。

このページの冒頭にも書き、繰り返しになってしまいますが10年の年月はけっこう長いし重いのですよね。

 

 このメモリーズの記事を書こうと、自分の詩をちょっと読み返しました。そして過去に書いた自分の詩に励まされている自分がいます。「老い」を見つめるのも大事な事だけれど、やっぱりポケットの中の夢の欠片を探したいと思えたからです。

 

そしてまた読み返した詩の中で、自作でありながら、いや自作だからこそだと思うのですが、泣かずにはいられないものがいくつかあるのです。

母へ」はその中の一つです。

 

またいっけん平凡な恋の歌に見える「春だから」と「秋の日に想う」は、ちょっと種明かしをしてしまうと、実は死んでしまった我が家の柴犬ココを思って詠ったものでした。たぶんこの詩で泣くのは私だけ。

大人しくて優しかったココちゃん。美しい茶色の毛並みで鼻白顔がとっても可愛かったココちゃん。でも最晩年は体の毛がぜんぶ抜けて、滅茶苦茶臭かったココちゃんー。

悔いる事がいっぱいです。

 

2011年は、それ以前それ以降と言う恐ろしい線が引かれた年だと思います。

そして私自身ずっと背負っていくらしい病気になり、私の人生にも大きな節目がやって来ました。その年の最後にそんな想いを込めた詩は「悲鳴」で、その後もなかなか気持ちは復帰せず、2012年の初頭も誕生日にも、詩に関して言えばですが何にもやる気が出なかったのでした。

人は辛くなると、歌うものなのでしょうか。

 

2012年に未だにまったく上達していないピアノを習い始めました。あなた様の想像通り、右手と左手が違うリズムで引くようになってから、あっという間に限界が来てしまいました。体調が悪かったり予定が立て込んでいたりする時にはお休みさせてもらっています。なのでさらに上達しません。ピアノのお稽古のオハナシは、もっと何か面白くなって来てからご報告しますね。ただピアノが下手くそであることと言葉に音をつける楽しさは別物です。

このマイブームは少々続きました。

ほとんど推敲しない私でしたが、音をつけるとなるとそうはいきません。この詩でなんでメロディが付くんだろうと思われる方もいらっしゃるかも。実はここに載せてあるのは、ほとんどが推敲前。失礼な事をしているのですよね、私。

メロディをつけるとなると、本当に指を折って字数を数え、なかなか楽しいひと時でした。

そして作った歌は、病気で家で療養中の父と看護している母の前でほとんど歌われてお仕舞です。

たぶん私は父に「ねえねえ。」と楽しいお気楽な話題を振ってみたかったのじゃないかと思うのです。それと辛い想いを歌に還元していたのかも知れません。

歌と父と言うのは、やはり微妙な繋がりがあったようで「船が出る」と言う曲を作ったら、私の中でブームは静かに去って行ってしまったのでした。

 

目次を作っていて、初めて気が付いたことですが、2014年は1篇の詩も作らなかったのでした。あまりにも様々な事が毎月あってそれどころじゃなかったのかも知れませんね。詩を作らないと言う習慣はずっと続いていたようで、日光の旅行記を書くにあたって、久しぶりにその旅行記の扉のイメージで書いたのが、上にも紹介させていただいた「気まぐれに」だったのです。

 

その時感じた事は、あの音をつける時代は無駄ではなかったなと言うことでした。少々理詰めで言葉を綴る私の詩。なんだかさっぱりと書けるようになったと感じたからです。物事は何でも絡み合って今に至っているのかも知れません。

 

これからも拙い詩を書き続けると思います。お目に止まったならば、どれどれとお立ち寄り下さったら幸いに思います。

最後にクイズです。

1月の詩〈その1〉」の中には三つの物語が隠れています。

さて何でしょうか^^

 

 

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そして僕は今日も君に言う。
「おはよう。」
「おやすみ。」

「愛しているよ」の変わりに今日も言う。
「おはよう。」
「おやすみ。」

ま・い・に・ち」より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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