どじょっこメグちゃん夫殿が2012年の夏に「めだか親父」になってから、みんなが出かけて部屋の中に私一人になっても、一人であって一人ではないと言う毎日が始まったように思います。つまり、私と猫、そして...
上の囲みは昨年の11月26日にアップしたものです。
結局、その時のめぐちゃんは数か月生きて今年になってから死んでしまいました。相棒だったもう一匹のドジョウが先に死んでしまった事を考えると、寿命まで生きたのかも知れません。
そして少なからず水の世界の仲間に囲まれて、孤独のうちに死ぬと言う事はなかったと思います。〈めぐちゃんって何と思われた方は、上の囲みの記事を読んでくださいね。
私は普段は、夫が趣味でやっている水槽の世界にはほとんど興味を示しません。
先日友人が家に来た時に、
「水の音に癒されるわあ。」と言った時に、
「そおおう?私にはうるさいわ。」と態度悪し。だって、毎日ずっと聞こえるんですよ、水槽の水の音。煩いですよ、本当に。
私がパソコンや仕事などをやっている机は、いつもは食卓になるテーブルです。
座っている真正面に水槽が三つ置いてあるのです。
ある時ふと顔をあげると、思わず一つの水槽をじっと見てしまいました。そこには体がくの字に曲がったメダカが一生懸命に泳ぐ姿があったからです。
あれっと思って思わず立ち上がり、水槽の傍まで行ってしげしげとそのメダカを眺めてしまいました。
やっぱりこれは奇形だわ。
思わず私、そのメダカに「くーちゃん」と名付けてしまいました。
動くので上手く撮れた画像はありませんが
真ん中にいるのがくーちゃんです。尾ひれが下に見えるでしょう。
ぼやけてしまいました。
これでは「へーちゃん」みたいですが、泳いでいる時はほとんど縦になっています。
くーちゃんは優雅には泳げません。他のメダカたちは、時にはぼんやりと浮かんでいる時もちょっとだけ尾ひれを動かして泳いでいる時もありますが、くーちゃんは常に全力で尾ひれを動かしています。
なんだか思わず「がんばれ、がんばれ」とエールを送りたくなります。
そんな頑張るくーちゃんの寿命は数か月でした。でも一生懸命に生きたくーちゃんには、ちゃんと他のメダカ同様の幸せはあったと思います。聞くことは出来なかったので真実は分かりませんが、そう信じるしかありません。
頑張るくーちゃんの泳ぐ姿には、私は励まされてきました。
さよなら、くーちゃん。ありがとう、くーちゃん。
何にもないような我が家の水槽の中の世界にも、そんなささやかな出来事があったのですよ。
メダカの水槽の中では「個」と言う事は重要視されません。皆その他大勢のメダカやエビたちです。区別がつかないからです。だからたった1匹になってしまったり、くーちゃんのような奇形だったりしないと、その「個」と言うものが生じてこないのです。
小さな水槽の世界はさながら私たちの社会と同じような気がします。
大概の者は、他者からは「個」を意識されないその他大勢の者だと思います。でもそれを嘆く必要は全くないのではないのかと、小さな水槽の中を眺めては、私はそう思うのでした。