佐名の娘の瀬名が出てきた時に、なんか聞いたことのある名前だなと思ったら、この子は後の築山殿なのね。
この少女が蹴鞠で勝ってご褒美をもらいたいと思っていた美少年・龍王丸は後の今川氏真。
ああ、なんだあと思ったのは、後からHPの人物相関図を見たら、ちゃんと大人になった瀬名も龍王丸もちゃんと出てくるんですね。
物語はゆったりと進むけれど、なかなか面白いなあと思いました。
悲劇の築山殿のその子供時代、桶狭間で敗れてしまった今川義元のその息子の子供時代、そんなの今まで見たことなかったように思います。この二人にもこの先感情移入しちゃいますよね。
おとわのご褒美欲しさの蹴鞠勝負。
もう一本、もう一回、と負けても負けても食い下がります。
油断した龍王丸が一回負けても
「こんなの勝負に勝ったとは言わない。」と言うような事を言ったのは、まさにその通りだと思います。負けても勝つまでやられて勝ったとしても、それは勝負に勝った事にはならないのですよね。だけどこの時、大人たちの思惑が絡んで、ご褒美の形で出家が許され人質の立場から放免されるのです。
おとわの粘る頑張りに心を打たれ感動することはなかったのですが、その頑張る姿はその場にいた人の心には残る出来事だったのではないでしょうか。またこの流れがあったので雪斎も佐名から手紙を受け取っていた寿桂尼にも口添えしやすくなったと思いました。
一方その頃、今週の鶴ちゃんは、井伊直平に拉致されて人質にされてしまいます。こんなやり方ではダメだと説得に来た直盛を前に、鶴は
「人質なら、弟もさらってこなければ意味がない。私一人なら見捨てて終わりだ。」と寂しい事を言うのです。
だけれどその父は鶴がさらわれた事を知った時、少なからず動揺していましたよね。
難しい親と子の関係は大人になって複雑化していくのかも知れません。
おとわが帰って来た時に、水の中まで入って最短距離で迎えに行くと言う単純な愛の方が伝わりやすいー。
だけど分かりやすいものにばかり目を向けていく事は、現実の世界では、時には見方も薄く誤解を生みやすい関係を作ってしまう場合もあると思うのですが、それはドラマとは関係のないお話です。
今回の見どころは南渓和尚の頑張りかも知れません。南渓和尚は佐名のお兄様。でもウィキ様に寄れば、この和尚は養子かもって。なんだかこの二人にはもっと違う感情の流れがあったように感じたのですが、どうだったのでしょうか。
頑張ったけれどその時はダメで、だけどやっぱり駄目ではなかったと言う事、そんな同じような事経験ありませんか。
私もそんな経験があったなと、そんな事を思い出しながら見ていました。
思い出しながら見ていたと言えば、おとわの粘ったがゆえに相手の負けを誘引したシーンでも、私はある事を思い出していました。
ここからはドラマと関係がない話なので、お時間がある方だけお読みください。かなりアホな話です。
※ ※
子供が小学校か中学生に入ったばかりの頃、一緒にゲームなどをしてあげようかと言うと、すごく喜んでいたと言う可愛い時代があったのです。ふと気まぐれに、「一緒にやろうか。」と言ってやったゲームが「ぷよぷよ」。
でもこれ、始めて数秒でドカドカとぷよが落ちて来て、秒の単位で私の負けです。
「もう一回 !!」って、これ私のセリフ。
「もう一回~ !!」って、10回目、子供が疲れたすきを狙って…・やっと一回勝ちました。
9回、負けた事は棚の上。
「やったー、勝った~♪」って鬼の首でも取ったような気持ちになったのは・・・・それは私です💦
だから思います。
おとわ姫よ。気持ちは分かるけれどね、それは勝った事にはならないと思うよ~ってね。