ちょっと違う話からしちゃうんだけれどね、写真って時には残酷だと思うの。
ある時姑に
「いつまでも綺麗ね。」と言ったら
「何言ってるのよ、こんなしわくちゃ婆さんの事を。」って言われたの。
だけど本当に、私の姑は90過ぎてもお洒落で綺麗な人なの。
私の眼には、そう見えてしまっていたのよね。
だけど
ある時、写真を撮って、それを後からしみじみと見ていたら
「ああ、本当だ。姑は皴だらけの90過ぎの老婆だったんだな。」って分かったわけ。
だからカメラって残酷だなって、その時に思ったの。
でも逆に言えば、
人間の目は偉大よね。
月も星も、普通のカメラではちょっと努力しなくては写らないものを、
見上げればちゃんと輝いて見えたりするわけだから。
ずっと綺麗でいようとする女性の
その本質でその人を見せようとするのだから。
6月25日に姪の結婚式に行った時に(六月の花嫁)
その子が、テーブルの上に飾ってあった花を女性たちにくれたのです。
親戚なのにくれるんだと嬉しく思いました。
生花なのでどんどん枯れていき、7月4日にダメになった薔薇を抜いて仕立て直しました。
いきなり画像が小さくなったのは、目ではまだまだいける感じだったのに、写真に収めたら、
紫陽花はしおしおのバーサン状態だったのが分かったからです。
目にはまだまだ華やかに映っていたのに・・・・
向こうに見えるのは、
我が家のあんずさんの足。
そして昨日もまたそのヨロっとした感じの白い紫陽花を抜いて、3度目の活け直しをしました。
これも昨日のうちに撮っていたらもう少し華やかな感じがしたのですが。
それでも花が玄関にあるっていいですよね。
それにしたって、私、結構粘っていますよね。
粘りすぎかしら。