久しぶりの「NO.50の記事」。
7月最後の日に読まれた、私のブログの50番目の記事です。3pvとなっているけれどたぶん一人の方が読まれたのだと思います。いったいどんな経路でいらっしゃったのかと思うと、不思議な気持ちになりますが、時々その稀なる訪問者様は偶然と必然が重なり合って、私の為に来てくださっているのかと思えてしまう事があるのです。
上の記事は、2014年10月5日に投稿したものです。
夢の話ですが、すごく不思議な夢でした。
この夢自体には続きはありませんが、この話には続きがあって、いつかそのお話をしたいと思っていました。
私はこの夢を見た時に、凄く不思議な気持ちにもなりましたが、ちょっと嫌な気持ちにもなったのです。
それは・・・・
(良かったら、そのリンクしてある「真っ白な回廊」も是非お読みくださいませ。)
その夢は絵にしても映像にしてもいいくらい、本当に美しかったのです。私が絵を描く人、もしくは映像を作る人だったら、決して無駄にはしたくない経験です。
だけどその回廊を渡り切ったら、私はどうなっていたのかと思うと、すごく怖い気持ちにもなったのでした。その道案内をしたのは、なんと父だったのですから、私が嫌な気持ちになったのも理解していただけるのではないでしょうか。
ところでちょうどその頃、私の妹の一人は乳がんを患っていました。小さな癌もばらまかれたように存在しているとのことで、最初に抗がん剤でたたき、それから手術の日にちが決まる手はずになっていました。ところが免疫力が弱った彼女は或る日、菌に侵され40度の熱が何日も続き入院してしまったのです。大人が40度の熱を数日出していれば、もちろんまともな意識もなく、数日は昏睡のようになっていました。もっと別の言い方をすると生死の境を彷徨っていたのです。
だけど彼女は生還し、無事に手術を受ける事が出来たのです。
いつだったか皆で集まった時に、妹はその時の事を語りました。
その体験談の中の一つが、また夢の話です。
そしてその夢は、また不思議な夢でした。
意識もなく眠っている妹・・・・・。
だけど夢の中で目覚めます。
真っ白なやけに明るい病室。
白いカーテンが彼女のベッドを囲んで引かれていました。だけどそのカーテンの向こうには誰がいるのか、寝ているはずの妹にははっきりと見えたのでした。
そこには品の良いお婆さんが、病室の真ん中に机を出して、カシャカシャとタイプライターを打ち続けていたのでした。
「なるほど。」と私は言いました。
「そのお婆さんは、三途の川の奪衣婆よ、きっと。」
奪衣婆と言うのは死者が三途の川にやって来た時に、生前持っていた衣服財産肩書などを奪い取る者の事を言うのです。要するに死んだ後にはそのようなものはすべて無用なものだからです。
私は彼女の話を聞いて、まるでその老婆が妹の人生をタイプライターで書記しているのではないかと言うイメージに感じたのです。
「きっと書いてみたら、あまり面白くなかったのよ。だからこのようなものじゃ、まだまだ早いって帰されたんじゃないかしら。」
「そうか、そうなんだ。もっと面白くしてから来いって事かしら。だから私、その後、起き上がることが出来なかったのかも。」と妹は言いました。
あのね、と妹は話を続けました。
白いカーテンが風でふわりと揺れると、黙々と打ち続けていた老婆の手が止まりました。すると廊下が急にガヤガヤと賑やかになったと言うのです。
ハッと、私は息を飲み、そして言ってしまいました。
「ねえねえ、その時シンバルの音のようなものとか聞こえてさ、みんなが笑いあっていて凄くにぎやかでお祭りのようなんでしょ。」
妹はちょっと嫌な顔をしました。
これから夢の話も佳境に入ると言うのに、さながらその先を知っているわと言う私の口ぶりに彼女の心に小さなさざ波が立ったに違いありません。
でも妹は
「なんで知っているの?」と聞き返してきました。
「行きたかったのに、行けなかったんだよね。」と私。
「うん。お祭り好きな私なものだから、もう行きたかったよ~。だってとっても楽しそうだったんだもの。でも起き上がれなかったの。起き上がって廊下に出ていったら、私、戻って来れなかったかもしれないよね。」
思わず私、「それ何日に見た夢なの !?」と聞いてしまいました。
それは同じ日に・・・・
って、そこまで話はうまく出来ていませんでした。
10日ほどずれて居たのです。
だけど私は真っ白でやけに明るい病室、白い揺れるカーテン、賑やかなお祭りのような声と音楽に私が見た夢と、何か共通しているものがあるような気がして仕方がなかったのでした。そしてそれはタダの不思議な夢から、妹の話を聞いて、何か意味のあるものに変わったように思います。
姉妹仲良くと言うのが、父の最後までの願いでした。
もしかしたら、父は今、目の前にある危機を伝えたかったのだろうかと思いました。
それとも本当は、何の意味などないのかもしれません。
だけど人間とは、何もないかもしれないところを見つめ、そこに意味や意義を見出そうとする生き物なのです。
『真っ白な回廊』の中で、私は夢の中で目覚め、まだ夢の中にいる事も気が付かず子供たちを起こしに行きます。子供たちと言ってもラッタ君は独立して既に家にはいないのです。そしてルート君はとっくに仕事に出かけていて、私は暗い部屋の中でポツンと大きな虚無の気持ちを抱えて立っているところで、本当に目が覚めたのでした。
先日、実家にてラッタ君に会いました。
私はいつもこの子と会って別れた後、寂しさの川に落ちかかるのです。いつまでたっても子離れが出来ていないのですね。
だけど同じ7月31日の朝ドラ「ひよっこ」の中に
「「生きて会えたと言う事。元気だったと言う事。そしてまた会えると言う事。」と言うセリフが出てきます。
朝、「NO50の記事」として、この記事を自分で読み返してみて、そしてさらに「ひよっこ」の言葉に救われる・・・・。
何かに守られているような感覚、またはオカゲサマと言う感覚があるじゃないですか。それは何も右に行こうとして何かが偶然にあって左に行って、ああ良かったと言う事ばかりじゃないと思うのです。
世の中にあふれている言葉の中に、必ず自分に向けてのサインが隠されていると、私は思うのです。
そしてそのサインに気が付くことが出来るのは、自分の中の感性と考える力なのかも知れません。