ふと思うに、広島の事は書くけれど、長崎の事はあまり書かない。
でもそれは、たまたま広島の原爆記念日が先にあるからではないのかと考えた。なぜなら、そこが故郷だったり縁ある人が住んでいなければ、原爆への憎しみは落ちた場所には関係なく同じと思うからだ。
現に、原爆投下候補地には、私の故郷である横浜も入っていたのだから。
人の心の中に棲みついた悪魔の化身であるかのような、あの爆弾は広島・長崎に落ちたと考えるのみでなく、日本に落とされたと思うべきである。
だけれども、長崎と言う所に思い出がないわけではない。
それは高校の修学旅行で訪れた地でもあった。
原爆資料館を訪れた私は、悲惨な展示物を一つ一つ丁寧に見ていたら、不意に涙があふれ出てきた。
凄く恐ろしかった。そして悲しかった。
すると、すぐそばにいた友達が
「なんで泣いているの?」と聞いてきたのだった。
「だって、これを見ていたら泣きたくならない?」と私が聞き返すと
「感受性が強いのね。」と言われた。
そう言われて辺りを見回すと、友たちは剣には見ていたとしても、ある意味修学旅行の楽しいひと時として、皆笑いあっているように感じたのだった。
こんな所でべそをかく人なんかいないんだなと、私は恥ずかしくなって急いで涙を拭いたのだった。
平和公園の記念像も見た。
ああ、これがかの有名な…と私は思った。
だけどその時も、ちゃんと戦争と平和に対しては、まじめに何かを思ったと思う。
これこれこのような事を思ったと書けないのは、それがはるか昔の出来事になってしまったからだ。
どんなに記憶力が良くても、記憶はどんどん風化する。
ゆえに、時々は思い起して、記憶はインプットし直すべきなのだ。
だけど思う。
この戦争を憎む気持ちは、ずっと昔から変わりがないものであっても、やはり私の中で徐々にちゃんと形を成すものに成長し育っていったものだと思うのだ。
年齢を重ねると言う事はそういう事でもある。
日本人としての使命とか何かとか思ってみたりもするだろう。
体験を通して核廃絶を訴える事が出来るのは、日本人のみである。
年齢を重ねて、その人の中で形を成して成長させるものは人それぞれに違うのかもしれない。「平和」の感覚に対しても。
「あなたはどこの国の総理ですか。」と被爆者の方に言われた男は、どうなんだろうか。→そのニュース記事はこちら
またも長崎の思い出に戻るが、被爆地の悲惨さを感じた街と言うよりは、坂の街であり雨の街であり、異国情緒の漂うおしゃれな街でもあった。それは修学旅行と言う浮かれた旅の途中で訪れた事もあったけれど、今そこにある街並みを見たのだと思う。
ただそれでも、心に刻まれたのはバスガイドさんが「長崎の鐘」を歌ってくれたことだ。そしてその夜、夕食後に行われたクラス別出し物対抗(なんて名付けていいのか分からない。)の折、我がクラスはまじめに制服に着替えて、この歌を皆で合唱したのだった。
夕食後にそんなことをするのも、うちの学校は変わっているように思ったが、そこでこの歌をまじめに歌ったうちのクラスも凄いなと思う。
他のクラスは二人羽織とか…・え~とえ~と、覚えていないや。
その歌唱指導を、バスに乗っている間、ずっとガイドさんがしてくれた。
「ハイ!!!」と言う掛け声も熱が入り、観光を終えて、他のバスの人たちがウツラウツラしているとき、私たちは
「こよなく晴れた青空を~・・・」と練習していたと言うわけだ。
何回も歌っているうちに、その歌の悲しさがやっぱりすごく伝わって来たのだった。
(今思うと、いい学校だったな。)
長崎の鐘(最新版) 下垣真希 Maki Shimogaki
「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」
面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。
「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」
面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。
「あなたはどこの国の総理ですか」。長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長を務める川野浩一さん(77)は被爆者団体からの要望書を安倍首相に手渡した際に迫った。「ヒバクシャの願いがようやく実り、核兵器禁止条約ができた。私たちは心から喜んでいます。私たちをあなたは見捨てるのですか」
面談は式典後に首相らが被爆者団体から援護策などの要望を聞く場として設けられている。通常は冒頭で静かに要望書を手渡すが、川野さんは「子や孫に悲惨な体験をさせてはならないというナガサキの72年間の訴えが裏切られたという思いがあった」と異例の行動に出た理由を話す。川野さんは安倍首相に「今こそ日本が世界の先頭に立つべきだ」とも訴えたが、明確な返答はなかった。