今日、書こうと思った事があるのですが、その前に
どうしても少しだけ言いたい事があります。
お願いのようなものです。
あまりコメントを書きこまないけれど、時間の許す限りではありますが、
読者登録しているブログ、またはしていただいているブログの皆様の所は、
定期的に訪問して、読まさせていただいています。
もちろん毎日ではありません。
ブログをずっと続けて行くと言う事は、よほどはまった趣味に感じないと、そうそう長々と続く事ではないかもしれません。
私もかなり長い方のお仲間になってきましたが、同じような方、更に長い方はたくさんいます。
だけど人気ブロガーでありながら、
生活の重要度の順位によってやめられていく方も多いと思います。
仕事とか家族の生活の変化とか、またはご病気、またはネット攻撃に疲れ果てたりとかも理由に上がるかもしれません。
ブログの継続の自由は、まったくその人の自由ではあるのですが、
止められるとき、
「止める」と書いて、ブログ削除するまでの期間が
皆さん短すぎると思うのです。
30年続いているリアルな友達だって、今では1か月に一度ぐらい。
仲良く今一番遊んでいるお友達だって、2週間に一度ぐらいしか会えませんよ。
ずっと、私のブログに来ていただいている方も、徐々に感覚は空いて行き、
それでも思い出したように来てくださるので嬉しく思ったりもしているのです。
「お知らせ」して、1週間でも短い。
数時間なんてあり得ませんよ。
寂しすぎますよ。
ラストメッセージ、何が書いてあったんだろう。
何があったのだろう。
どんな気持ちでいたのだろう。
大丈夫だろうか。
世の中には、言葉を頻繁にかわさなくても
じっと見守っている人たちもいると思うのです。
その人たちの名は「お蔭さま」です。
「お」も付けられ
「さま」も付けられる
「お蔭さま」
ブログには、挨拶よりも深い、その人の心の吐露が書き込まれていると思うのです。
まずは、それを読み合うだけじゃダメですか。
そして、読む事によってその人の心の傍に寄り添っていたと言うのに、
バーンと消えちゃう。
「遠くを見よ」
って、誰かが言っていたけれど、
置いてけぼりにされる人の気持ちを、窓の外の遠くに見える、風に揺れる木々の梢のように感じてもらいたいと思います。
ブログ継続は、その方の自由。
でもね、止められるときは、そのラストメッセージが、ちゃんと今まで読んでいた人に届くように
30日は放置して欲しいと
私は思います。
―どうしちゃったのかな。
何があったのかな。
大丈夫かな。
ねっ、元気?―