森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

9月11日、月曜日。

2017-09-11 23:54:53 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、日曜日。
 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあり、今日という日の朝のバタバタもあり、ためている書きたいドラマ記事......
 

上の囲みは昨年、2016年の9月11日に投稿したものです。

そこを開くと、またその前年の日記と言うツリーになっています。

私の中でも、どんどんと風化して行ってしまう2001年9月11日にアメリカ合衆国で起きた同時多発テロ。あの時とその後に起きた恐ろしい出来事を忘れてはいけないのだと思います。

 

だけど今の私の中には、少々の嵐が…いや、少々のなどと言ってはいけないのかもしれませんが、隣国に対しての憎しみを感じる自分がいる事を今は否定できないと思います。

あの人たちはいったい、国ぐるみのバカなの?

ミサイルが上がったことが誇りであり喜びなんですって。

みんなニコニコしちゃって、気持ち悪い。

あの人たちって、その武器で人がたくさん死んだら、

「わーい、死んだ。ワーイたくさん死んだ。」って喜ぶのでしょうか。

 

教育って本当に怖いですよね。

でも夫が、あの国の中の人もちゃんとわかってる人は分かってると言いました。

そりゃそうですよね。完全に鎖国しているわけでもないし、中国なんかは彼らの安い労働力を当てにしているわけで、見ようと思ったら世界を見る事も可能なわけで・・・(中国からちゃんとした世界が見られるかは分からないけれど。)

姉が、彼らの事を規模が大きいオウムに感じると言いました。

 

あの国を核保有国にしては絶対にダメだと思います。

 

厳しい制裁をすると言っていたアメリカはどうなってしまったのでしょうか。

 

そんな不安を抱える、2017年の9月11日でした。

 

9.11関連記事→「米同時多発テロから16年、NYの夜空に照らされた「追悼の光」

その時に亡くなられた多くの方、またその後に亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

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おんな城主直虎第36回「井伊家最後の日」

2017-09-11 12:52:52 | ドラマ (大河)

BSで見ているので、ツイッターしながら見ると言う事は最近しなくなりました。「いいな」と思う事があってもネタバレになってしまうので、言葉を選ばなくてはならないところが面倒だからです。だけど、近藤が自分の足で立つところで「立った。殿が立った。」と言うセリフ。思わず笑ってしまいましたよ。

だって、絶対と言っては何ですが、ツイッターではきっと「クララが立った。」と連想した人多数ではないかと思えたからです。

 

「立った。クララが立った。」

もうライター様は分かってやってる確信犯だと、私は思ったね。

 

だけど「ぷぷっ」と笑ってしまったのはそこだけ。

後はウルウルと見ていました。

 

感情移入度がいつも高いので泣き虫です。でも夫の方が感情移入度が高いような気がします。だってマジに怒っているんですよ。

「井伊を終わりにするなんて、決して言ってはならない言葉だよな。よく言えるよな。ちっ、女だからだな。」

「いやいや、だからさ、これは結局は和尚のある意味策略だと・・・」と家族で揉めていたら、

中野殿の「おなごじゃの」と言うセリフ。

 

その時、私は思いました。

夫の「女だから」と言われた時には、女だからダメなんだのように聞こえてきて、ムッとしたけれど中野殿が同じ言葉を繰り返した時に、「そうか」と私は思いました。このセリフは女でしか、この時代には言えない言葉です。

「終わりにする。」などと。

命失っても、前に突き進む。

この時代は、もうこの選択しかなかったようなものです。

 

直虎はこの時は本当に、家の再興を諦めたのかもしれません。でも『無意識の計算力』の高さは女は男の比ではないのだと思うのです。(世の中の反感を買いそうな発言かも^^)

でもそれは別の言い方をすると、大いなる「勘」と言う所。

引いて更に引く。手詰まりになっていた今の井伊に、無意識に搦め手を仕掛ける、または一旦、試合から引き揚げて傍観して流れを見る。そんな時間は必要だったかもしれません。

そしてそれは女だったから、それが可能だったかもしれません。

ただHPのあらすじにあるような「家を再興することが家臣たちを再び戦に駆り出し、新たな悲劇を生んでしまうと考えたのだ。」はないんじゃないかと思いました。なぜなら、それでは近藤の誘いや松下家の養子などおかしな話になってしまうからです。

 

それに再興かまたは終了かで悩む直虎に、今の結論になるような後押しをしたのは南渓和尚で、彼は先の先を考えていたと思うのです。つまり上に書いたような事。だから嫌だと言い張る虎松に大事なアドバイス…というよりも本心を告げる事が出来たと思います。

だからと言って彼を影の支配者とは思っていません。彼は常に直虎・政次・直親らにとって常に「大人」なんですよね。

大事な人ですよね。

 

私、今回、・・・・なんて言うかね。

脳内であれとリンクしちゃったんです。まあ、ぶっ飛んでいますけれど。あれですよ、『ラピュタ』。

あの人たちだって、天空の城を捨てて地に降りて土と共に生きようと決意するまで、そうとうの迷いと言い争いがあったと思います。でも・・・・あっ、この人大丈夫かと、今思ってしまいましたか(笑)

大丈夫ですよ。両方ともちゃんと物語の話と分かっていますからね。

そう、両方とも物語の話ですよ。

 

で、話を元に戻すと、終わらせると言うのは、本当に辛いなとメソメソしていました。

だけど龍雲丸とのシーンは素敵でしたね。

二人の大切な人を失ってしまった直虎にとって

「あなたより先に逝かない。あなたを置いて逝かない。」は殺し文句ですよね。

 

一緒になりたい女がいる、と言われた時の直虎の動揺ぶりは可愛らしかったです。

「名前を知らない。教えてくれませんかね。」と言われても、自分の事と思わずに頓珍漢な事を言ってしまう直虎。

 

自分の事と分かって、はにかみながら自分の名前を言う直虎。

「とわ」

 

その時、私の耳には「永遠」って聞こえてきたんだよね。

 

 

                ※

次週、やっぱり高瀬は武田の冠者 ?

 

 

 

 

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