《高島忠夫さん 晩年は闘病の日々》
高島忠夫さんは、私の父とさほど年齢は変わらないはずです。
だけど子供の時から、彼の事が好きでした。
まだ小学校にも行ってなかった頃だったか、ひとりでテレビを見ていて、ある男の俳優さんが凄く素敵だと思ったのです。
小学校にも行っていなかったのに、なんと言うおませさんだったことか。
あの俳優さんは誰だったのだろうか、その頃の私には分かるはずもありません。だけどその後、高島忠夫さんを見て、きっとこの人だったに違いない。いいや、きっとこの人よ。この人でいいや。
なんと言うか、好きになった理由がそれかと言うぐらいいい加減なものだったのですが、それからずっと好きだったのです。
ふくよかで優しげな顔が上品に感じていたのかも知れません。
そしてやっぱり私が、まだ全然子供だった時に、彼の家族に恐ろしい事が起きました。可愛がっていたお手伝いの女性に、我が子を殺されてしまったと言う痛ましい事件でした。
子供心にも不思議な動機でした。
赤の他人の女の人が、本当の子供への愛情に嫉妬するなんて考えられない事だなと、(もちろんもっと簡単な言葉で)そのニュースを見ていて、なんて気の毒な高島さんと思っていました。
だから翌年に、また子供が出来たと知って嬉しく思ったのです。その子供は、高嶋政伸さん。
そうやって思うと、私は子供の時からこの家族を見守り続けてきたように思うのですよ。
だけど今は二人の子供たちも活躍しているし、晩年になっての鬱や糖尿、パーキンソン病などとの闘病の事には、あまり目を向けてなかったのでした。
長い闘いでしたね。
老衰で眠るように亡くなったと聞いて、心の底からお疲れさまでしたとお伝えしたいです。
いつも素敵な声で華やかな人だったと思います。
安からかにお眠りください。