森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

二人のお母さん

2019-06-19 23:10:40 | 梢は歌う(日記)
 
昨日と今朝の

日付が変わってしまっているので、正確には、おとといと昨日の朝と言うべきなのだと思います。ダラダラと日付をまたいでいるので、意識的には「昨日と今朝の」と言う感覚です。 テ......
 

他の事を書くつもりでPCを開いたのでしたが、メールのチェックを入れて驚きました。

送られてきた昨年の記事を読むと、昨年も京都の方で震度6の地震が前日(前々日)にあったのだとか。その前の日は群馬の方で。

なんという偶然でしょうか。

 

怖い思いをなさった新潟の皆様、心よりお見舞い申し上げます。

 

また、この地震列島の上に住む同胞として、明日は我が身を忘れずに気持ちを引き締めたいものだとも思いました。

 ☆

二人の母たちについて、日記を書かせて頂こうと思います。

旅行に行っていた時は、ホテルのWi-Fiを利用していました。故に繋がる時間も少なかったのでしたが、その時に着信履歴も入ってきました。

9日の日曜日の朝に義母から電話があった模様。メールでも送ろうかなと思いましたが、出掛ける事を彼女には言ってなかったので、そこからかと思うと面倒になって、どうせ私に繋がらなければ、夫殿に行くだろうと連絡しませんでした。

家に帰ってから、用は何だったかと聞くと、連絡は入ってないことが分かりました。

そうなると、

「え~、何だったのだろう ?」

と、気になるじゃないですか。

それで今日、電話してみました。なんたって93歳の、ありゃ、94だったけなぁ・・・・・だんだん分からなくなってきました。とにかくご高齢の婦人なので心配じゃないですか。

今はこちらに単身で仕事のために戻って来た次男さんと暮らしているので、前ほどではありませんが、一応気は使っているのです。

やっぱりお買い物に連れて行ってとの依頼でした。(良かった。)

「私、ちょっと留守してて。だけどパパがいたから頼めたのに。」と言うと、そうこうしているうちに東京の家に帰っていた次男さんが帰ってきたので、もう電話もする必要もなくなったのだとか。

ちょっと世間話をして、次の会う約束をして電話を切りました。

しかしこの順番って、ちょっと不思議に思いませんか。だけどきっと「それ、分かる。」と言う方もいらっしゃるのではないかしら。

よく介護で、嫁の負担ばかりが大きいと言う場合もあるけれど、あれは押し付けられると言うよりは、介護して欲しい人の方が嫁の方を息子よりも選んでいるのではないかしら。

 

夕方、帰ってきたパパさんに事の次第を報告して、

「私のお母さんからも電話がかかって来た。」と言ったら、

「なんで!?」と驚かれました。耳の悪い母は電話などは大嫌いなのです。

「そりゃ、私が外国に行っていたから心配で、声を聞くまで安心できないと思ったからよ。」と私は答えましたが、それは本当の事です。

旅行の報告を少しだけして、「とっても楽しかったよ。」と私は言いました。

「良かったね。お母さんもずっと祈っていたからね。」と母は言いました。

そうだった。この人はそう言う人だったのよねと、気持ちがちょっと暖かくなりました。しかしよもやお腹を壊してずっと××などとは言えません。

「元気なの?」

「すこぶる絶好調。」などと答えて電話を切る私。

だけど私は今日(日付が変わってしまったので本当は昨日)、二人の声を聞けてホッとしました。

 

 旅行の申し込みをする時、私が一番気にしていた事は、この二人の体調だったのです。

2007年の10月にイギリスに行った時、「その日はいつかやってくる」と言う記事の中に

『いつか行きたいと思っていたイギリス。でも、私にとってはその「いつか」は永遠に来ない「いつか」だと思っていました。海外をとても身近に暮らしている方もたくさんいることと思いますが、私には海の向こうに出掛けていく事は、今年まではとても難しいことでした。子供が小学生の頃は論外、何が起きるかわからない思春期の子供も置いて出掛けても心配で楽しめません。だけれど、子供達は成長して、もう私を縛っているものは何もないのです。
季節が巡れば暑かった夏が秋に変わっていくように、いつかその日はやってくるのです。』と言う内容の事を書きました。

また新しい季節がやって来て、「もう私を縛っているものは何もない」とは言えず、もう長期で外海に出かける事はある種の博打です。

 

ツアー参加の皆様は、海外旅行が趣味の人たちが多数いて、あっちに行ったこっちに行った、次はどこどこへと話に花が咲いていました。大金小金を持っているかの問題ではなく(実はそれもありだけど、見栄を張って^^)抱えているものが違うんだなと思いました。

それに私は多趣味ではありませんが、多好奇心←こんな言葉はないです^^;

さすがにこれは趣味のようには出来ないなと思いました。

今度の旅行でも、掬ったものをじっと見つめ、それを優しく握りしめ、そっと飲み込み消化する・・・・・・・・時間がかかりそうです。

で、多好奇心なものだから、これからもあれやこれやと乱喰いするでしょう。

だけどそのひとつひとつを長々と丁寧に消化して行きたいと思います。

 

そしてやっぱり私は二人の母を大事にして行く事が、自分自身の自由の要なんだなと思ったのでした。

居なくなって自由になると言うのは、とても悲しい事ですから。

 

 

 

 

 

 


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