ブログに何かを記録する時、私は結構細かく書く方なのではないかと思います。
それでも書くことと書かない事が、裏と表のようにあるのです。
ちょっと間が空いてしまいましたが、
の続きです。
※
2014年11月の初めに書いた「東京ラーメンショー2014」
の記事は、楽しいイベント会場でお昼を食べたと言う話です。また自由が丘で美味しいモンブランを食べて帰ったと言う話です。
でも表か裏かは分からない事ですが、書かなかった事があるのです。
そこに書きこんだ
>近くの場所に用があって
ですが、それはスノウさんの乳がんの手術の立ち会いに来たのでした。
スノウさんが言いました。
「手術で目がパチリと覚めた時に、すぐ傍に姉妹に居て欲しいの。」と。
それでその日は、早起きして手術の時間に間に合うように駒沢公園近くの大きな病院に名都さんと一緒に行きました。
スノウさんは彼女の夫さんと娘ちゃんと一緒にニコニコしていました。
なんか、私たち要らないんじゃないのと、ほんのちょっぴり思ってしまったくらいに家族で寄り添っていました。
だけど夫婦にも様々な歴史ありと言う所なのだと思います。
きっとその頃の妹には、夫さんに対してわずかな距離みたいなものを感じ、遠慮みたいなものが存在していたのだと思います。
「時間が来たら、仕事に行ってね。お姉ちゃんと妹が来たから大丈夫だから。」とスノウさんは夫さんに言っていました。
でもスノウさんは夫さんの気持ちを読み間違えていたなと、私は思っています。もちろん彼が途中でどこかに行くなんて事はありませんでした。
※
「じゃ、ちょっくら行ってくるから。」
「頑張れ、ファイト。外で待っているからね。」と私たち。
その手術の時、何と彼女はスタスタと歩いて手術室の中に入っていったのです。
「うん、大丈夫。」とにっこり笑って入っていったスノウさんの後姿を忘れはしません。
乳癌は姉の蝶子さんもやっていて、その頃の私にはその手術に立ち会うとか退院の時に迎えに行くとかの発想が全くありませんでした。そんなに近所に住んでいるわけではないからです。だけど「来てね。」と正直に言ったスノウさんは、顔では笑っていても、本当は凄く怖かったのだと思います。
手術が終わった頃、私たちは先生の説明を受けました。
別室で4人もゾロゾロ入って、その話を聞くなんて、今のコロナ禍では許されることではないと思います。
4人もゾロゾロと書きましたが、手術の待合室では、多くの患者さんが、ひとりに付みな数名の立会人が来ていました。癌と言う病気は、やはり患者側からしてみれば、それだけ大きな病気なのだと思います。
先生の説明は、さすがに8年も前の事なのでまったく覚えていません。(もしかしたら、ちゃんと聞いてなかったのかも。)
ただその説明を聞いていた時に、医師の真横にある棚の上のお餅を入れるような大きさのタッパが気になって、チラチラ見ていたのです。
ー なんだろ、あれ ?
すると先生が、これが切り取った癌ですと言って、それを取りあげ蓋を開けようとするので、慌ててちょっと待ってもらい、私と姪っ子ちゃんは見る事から離脱しました。姪っ子ちゃんは精神的に耐えられないと言う理由ですが、私も似たようなもので、見てしまったらたぶん一生忘れられないからです。
だけど後で名都さんが、ざっとですが説明してくれたので見たような気がしてしまいました。それにタッパが気になってチラ見をしていたので、大きさなんかも予想がついていました。
なんたって乳房切除なんですから、かなりの大きさです。
大変な手術だと思います。
蝶子さんの体験談では、手術の後、痛み止めが良く効いていて、あまり痛くもなかったと言っていました。
私は今の時点では、手術は帝王切開が二回と言う経験しかないのですが、あれは後腹もあるからだと思いますが、ほとんど痛み止めが効かず、だいたいが地獄の一晩を過ごす運命にありました。
だから姉の「ほとんど痛くなかった。」との言葉を聞いて、今時の医学はどんどん良くなるなと思っていたのです。
ところが麻酔から覚めたスノウさんはずっと痛がっていました。
見ていて痛々しいほどでした。
こういう時、傍で「大丈夫 ? 頑張って。」と言われ続けるのも、自分の経験から煩いと言うか苦痛のような気がしたので、少ししてから帰る事にしました。ただ看護師の方には、妹の様子を告げて、痛み止めの事をお願いしておきました。
その時何処が蝶子さんと違ったのかと、私は思わざるを得ませんでした。
スノウさんは胸の切除と、その時に胸の再建手術もしたのです。それが彼女の胸には負担だったんじゃないのかとか・・・・
だけど真実は分からない事です。
ただ彼女は、その後の抗がん剤治療の時も、爪が真っ黒になり顔もシミだらけになりました。痛み止めで貰っていたリリカという薬は、私も飲んだことがあって、副作用があったので妹にもそれを告げたけれど、彼女はその薬を手放すわけにもいかずに、真っすぐに歩けなくなりました。ニッコリ笑ってスタスタと歩いて手術室に入っていったのが夢のような、そんな真冬の時代に突入してしまったのです。
この子はどうなってしまうんだろうかと、本当に痛々しい時代でした。
だけどこの冬には、ちゃんと春が来たのです。
抗がん剤治療が終わると、抜けた髪も、最初はごわごわの髪が生えて来て、そしてまた綺麗な髪に戻りました。だから彼女はまた髪を伸ばして素敵なロングの時代があったのですよ。なかなか顔のシミと言うのは消えるものではないと思うのですが、理由が理由だったからか、そのシミさえ綺麗に消えてしまったのです。
抗がん剤治療と言うのは、今の時点では頼らざるを得ない治療法だと思いますが、やはり恐ろしい治療法であることは否めませんね。
そしてやっと訪れた春の時代。
私たちは、その春がずっと続くと信じてて疑いもしませんでした。
楽しい事、いっぱいあったよね。
ランダムに続きます。