※ 画像は、4月6日の運河の岸辺です。
大好きだった「カムカムエヴリバディ」が終わって、来週の月曜日から、少々ロスになってしまいそうです。
このドラマを好きすぎて、毎朝、朝が来ることが楽しみに感じていました。
夫が以前、「ミステリと言う勿れ」が好きで、「月曜日が来るのは楽しい事ではないと思っていたけれど、月曜日にはこのドラマが観られると思うと、月曜日が来ることが楽しみになった。」と言うのを聞いて、思わずそれがドラマの隠れた役割なのではないかと思ったりもしたのです。
それが私にはこの「カムカムエヴリバディ」だったのだと思いました。
だいたい朝ドラが最終回を迎えるとその感想を書くことにしているのですが、そんな好きだったドラマの感想を1回で書くことなんか無理というものですね。(これは、何とはなしに毎回言ってるような気がします・テヘッ)
ちゃんとは出来なかったと思うけれど、1週間ごとのおまとめ感想を書けば良かったなと、今更ながら思いました。もちろん後の祭りですが(^_^;)
なのでほんのちょっとだけ、感想を書いておきたいと思います。
皆さんの感想とダブると思います。
私が最後に「あっ、そうか。」と思ったのは、やはりこの100年に及ぶファミリーストーリー自体が、英語のテキストだったことです。最初、テーマが「ラジオ英会話」だったから、ナレーションの城田優が、やたら英語で言いなおすのだと思い込んで見ていたのです。でも物語全体がラジオ英会話ならば、このナレーションは当たり前で、途中でひなたが、ずっとそのナレーションを英語でしていた時がありましたが、それも普通の展開だったのだと納得できました。そのテキストが、
「Hinata’s sunny side English」。
このテキストは本当にあるのかと検索なんかしてしまう私 (笑)
もちろんあるわけもないのですが(2025年の話だし(^_^;))、もしかしたら思ったのは、その最終回前日に本屋に行ったら、下記のようなテキストがあったからなんです。
そんなのがあったなんて、もっと早くに知りたかったです。
どこかで告知されていたのかもしれませんが、見逃していました。これもある意味後の祭りか、または今から買って、余韻に浸りまくるのも良いかもしれませんね。
最近はすっかり、朝ドラツイートは、自分が呟くよりは人の発見に驚かされることが多いです。
下のは、驚かされたわけではありませんが、公式の残しておきたいツイートだったのではめ込んでおこうと思います。でも公式のだと何時消えてしまうか分からないので、画像で「RT」です。(ツイッターに興味のない方には、何を言ってるか分かり辛くてすみません。)
このドラマ、本当に伏線回収が完ぺきに近いほど見事でしたね。
皆それぞれの人生をそのドラマの中で生きていて、そして語られていました。
安子の時代があって、るいの時代があって、そしてひなたの時代があるわけですが、それが見事に繋がっていく様子にワクワクしました。
最終週に至っては、あの時、安子が塀越しにラジオを聴いていて、親切な家族に一緒に「カムカム英語」を一緒に聴かせてもらい、その時一緒に聴いていた男の子の娘さんが出てきたことには驚きました。そしてその男の子と一緒に聴いていたその人が、自分の母と祖母である事をひなたは分からないままなのです。
皆がそうかなと思っていた、横須賀から全国展開に発展していた「たちばな」は、やはりあの時の少年が創業者だったのですね。
その由来が書いてある社長の挨拶文を読んで、ひとり微笑むアニーこと安子。
その時のおじさんが、安子のお父さんだったことは、安子以外誰も知らない事なのです。
何となく、私たちは長い年月でほんのわずかに縁した人に大きな影響を与えながら生きていて、そしてその事にほとんどの場合は気付くこともないのかも知れませんね。
また心に響いたセリフですが、
「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」という伴虚無蔵の教えは、本当に心に響きましたね。
ひなたも五十嵐も、この師匠の言葉を実践したからこそ、チャンスを生かす事が出来たのだと思います。また、虚無蔵にとってもそれは同じだったわけで、費やした時間は関係なく、いつか必ず報われると言うお話は、本当に良かったですね。
そしてこのドラマからは、失敗や挫折そして別れが次の扉を開く鍵になるのだという事を多く学んだように思います。「学ぶ」という言葉を使うと、何やら固く考え過ぎのような気がしますが、それを感じ取る事が出来たたくさんのエピソードは、皆素敵でした。
ただ水底に至る道は平たんではなく、長い時間を要していました。
安子の稔の思描いた時代を生きると言う夢も素敵でした。
私はいつ錠一郎がトランぺッターとして復活するのかと待っていましたが、これは本当にそういう奇病がある方があさイチに出演したころから,それは無いんだと覚悟しました。だけど彼はジャズピアニストとして見事に復帰して行きました。そのきっかけを作ったのが、算太おじさんだったのには胸が熱くなりました。算太おじさん、あの日にサンタの格好をして踊り、そしてみんなにたくさんのプレゼントを残すために、その名前だったのだろうかと思いました。
伯父さんの死が、るいを再び岡山に又引き寄せる事になり、そして再びそこからいろいろな事が動き出すのですから。
ちょっと困ったところもあったけれど、やっぱり伯父さんは、サンタさんだったと思いました。
ひなたと五十嵐にとっても、あの時の(五十嵐の自分勝手な)別れがなかったら、あの二人に今の未来はなかったわけで、見ていて二度の別れは本当にひなたが可哀想に感じ辛かったのですが、その選択で正解だったのだとしみじみと思いました。
今の時代は、結婚至上主義って事もないわけだし、恋愛至上主義もないと思います。でもやっぱり一人より二人と言う風に未来を感じさせるラストは良かったですよね。結局彼が、初恋の人に当たると思うし・・・・
なんかそこの部分・・・・・「キャンディキャンディ」みたいな感じですよね^^
3人のヒロインたちの物語、本当に楽しくワクワクして見ていました。
朝が来るのが楽しみだった朝ドラ。
雪衣さんも言いましたよね。
「たった15分、半年であれだけ喜びも悲しみもあるんじゃから、何十年も生きとりゃ、いろいろあって当たりめえじゃが」
なんか、名言ですよね。
名言と言えば、やっぱりこれ。
「あずきの声を聴けえ。時計に頼るな。目を離すな。何ゅうしてほしいか小豆が教えてくれる。食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。その気持ちがあずきに乗り移る。うんとおいしゅうなってくれる。甘えあんこが出来上がる」
そしてやっぱりこれ。
「Life can be so sweet on the sunny side of the street.」
ひなたの道を歩けば、人生は輝くよ。
半年間、ありがとう♡♡♡