14回「都の義仲」と15回「足固めの儀式」。
二話とも、心が重くなるような残酷さがありましたね。
「鎌倉殿、いじめの世界観」ってな感じですものね。
義仲の運命も上総広常の運命も知っていましたが、やはり脚本と描かれ方(演出)は重要ですよね。
「吾妻鏡」はこの先も、義経にばかりではなく、多くの御家人たちにもとんでもない運命が待っているでしょう。
なんだか
「では、ここらへんでワタクシめはお暇します。」と言って視聴離脱したいような気分になってきましたが、たぶん見る事は止めにはしません。
なぜなら見届けたいからです。
この物語は、いろいろな所で合わせ鏡のように「対」になっているような気がします。もちろんひとつのタイトルに二つの意味と言うのは、面白いなと気がついていましたが、その他にもいたるところで対比になっているように感じている私です。
14回で、丹後局が義仲に言うじゃないですか。
「京を知らなすぎる。」と。もちろん1週間以上前の事で、よりセリフは正確ではありません。
でも私は、一方諸事情があってなかなか吾妻から抜け出せない頼朝だって「坂東を知らなすぎる」と思いました。
元々頼朝は、西で権力争いして負けた父親のせいで東に流されてきた人。今では西の流儀も疎くなったと側近として大江広元を呼び寄せたのは良いとしても、この人は生涯公家のポジションで、鎌倉幕府に貢献した人で、いわば西の人じゃないですか。
つまり京でも西と東。坂東でも西と東が争っているような感じ。
対と言えば、先週の「都の義仲」でも義経と義高が、お互いの未来を熟れい合うシーンがあるじゃないですか。
それを見ていると、「なんとかならんのか。」とどうしようもない事なのに、ついつい思ってしまうのは、やっぱり脚本の凄さなんでしょうね。
そして今回もいろいろと合ったはずなんだけれど、畠山はやっぱりカッコいいとか、藤村はいつもあんな知ったかぶりとか、お父さんが八重に「立派な北条の跡継ぎを産んでくれよ。」と言った時のりくの複雑な顔とか・・・・・って、やっぱり書いているわけだけれど、とにかくもすべてが上総の最後に持っていかれたように思います。またそうじゃなくちゃねってところでもありますね。
最近、「善児」と言う名前がopに出てくるだけで、ツイッター民は震えるのだとか。
なるほどですね。だって、死亡フラグと言うか、大きく旗が「誰か死ぬよ~。」って振られるわけですから、そりゃ震えて当然ですよね。
だけどワタクシ、いつもボーっと見ているんで、気がつかず、・・・・・
だからあのシーンで、「あれっ ??」って思いました。
通り過ぎちゃったから・・・・
でもあれは・・・・!
ちゃんと歴史通りに、景時が上総と双六に興じている時に、すきを窺って討つと言うシーンになっていました。
でもここで感じた脚本と演出によって、舞台はいかようにも変わるんだと深く思いました。
大勢の人の中で、わけも分からず切り殺されていく・・・・
なんでなぜ。上総広常は思った事でしょう。
頼朝の「小四郎、来たらお前も切る。」のその「も」で、上総は悟ったのかもしれません。誰の指示でこんな目にあっているのかを。そして小四郎の涙を見て、逃れられない運命を。
だけど見せしめの為にと言っても、これは無実の人なわけなので、完全にいじめの構図で、はっきり言って、このシーンを素晴らしいと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、「ここまでやるか。」と言うのが、私の本音かも。
また佐藤浩市さんが上手過ぎるからね !!!
そして、その後の彼の拙い子供様な字の手紙でしょう。(ノД`)・゜・。
本当に
「頼朝、ろくな死に方しないな!!」って叫びたくなる!って、まあ、馬から落ちて死ぬんだけれどね。
だけどきっと、馬の耳に善児が虫でも入れるんじゃんとか思っちゃう^^
と、かくのごとく熱い気持ちにもなってしまうわけですが、これが三谷氏の仕掛けた罠じゃないかと思うんです。
今回の上総が討ち取られるに至るまでの流れは、物語上のオリジナルだと思うのですが、なぜ頼朝が景時に上総を討てと命じたのかと言えば、その理由はいろいろとあると思うんです。考えの相違とか。上総は平家討伐よりも関東の独立に拘っていた人だったので、頼朝とは目指すところが違っていたのでしょう。彼が力のあまりない人だったら、意見の相違など問題にはならなかったかもしれません。だけど彼の力の影響力はかなりのものだったと思われます。謀反の疑いありと言って、誅殺してしまう・・・・
だけど今回のドラマを見ていて、ふと御家人たちの力を均衡にするという目的もあったのではなかったかと思ってしまいました。均衡と言っても、皆同じにと言うわけではありません。とにかくひとりの御家人に広い所領と力を抜きんさせて持たせないと言う意味です。中央集権国家を作るために。
ここを理解しておくと、なぜ子がいなければ後継にとまで思った義経を排除していくのか、その流れも分かるような気がするのです。
頼朝は恐ろしい男です。
だけど彼は上総広常が言った通り、「御家人は使い捨ての駒」と彼らを使って鎌倉幕府の作り時代を駆け抜けていくわけですが、実は御家人たちは源氏の血を徹底的に利用して坂東武者による幕府を拓いていくわけで、やはりここでも「対の物語」になっているのだと、しみじみと感じました。
これはその「実は」以下の部分の物語なのではないかと思いました。だから頼朝の非道さに震えながらも、政子の尼将軍への道みたいな成長ぶりが描かれているような気がするのです。
なんかこの恐ろしい出来事の直後に義時に、子供が生まれました。重い気持ちのまま嬉しく思うっていうのも厳しいなと思いましたが、何やらこの赤ちゃんが「ブエイ」と泣いて、皆震えたらしいですね。夫とある事を話していて、聞き逃してしまいました。(後でチェックしましょう。)
何を夫殿と話していたかと言うと
「この子を産んで、八重は報われたよね。」
「本当だな。この子が鎌倉幕府のトップだもんな。」
頼朝の長男を産んだのに殺されて、義時の子を産んで、その子は執権になっていくー。
ほらねっ、ここでも・・・・
と言うわけで、次回が楽しみかそうでないのか分かりませんが、とりあえずドキドキしながら見る事にします。