ひとつ前の「相棒」の感想と、あまり間が空いていません。
よろしかったら、そちらの記事もよろしくお願いいたします。
一番下にある囲みは、昨年の3月10日に投稿したものです。
いつの頃からか、私は「3.11」を思い出すときに、必ず「3.10」の東京大空襲の事も思い出すようになりました。思い出すと言っても、その記憶ではなく「あった」と言う歴史の中の事実を、忘れないようと思い出しているのです。
囲み中の記事内にある事ですが、ある方の戦争体験が印象的で、お元気なうちに私たちや子供たちに伝えてもらいたいものだと思っています。他の方も思っていて、今年中にその話が少し進んだらいいなと思っています。
先日、その方々と集まる機会があって、少々その企画の事を、具体性のない話としてですが振ってみました。その時、「他の方」と書いた方ですが、その人が80歳になったばかりの人に、「Aさんもね。」と言ったので、「それは無理な話だと思うけれどな。」と私は小さな声で言いました。その人は煩そうに「そんな事ないわよ。」と言ったような気がしました。
するとAさんは「俺は4歳くらいだったから、覚えていないよ。」と即答され、私はちょっと「だからさぁ」と思いました。
お年を召している方に出会うと、皆かなりの過去を生きていると思うのは、陥りやすい間違いですよね。
私は87歳の母の歴史が基準です。戦争の時、母は学童疎開に行っていたのです。
年齢を伺って、母の基準を当てはめると、おおよそどのぐらいの時代を生きたのかが見えてくると言うものですね。
基準と言うものは、けっこう大事な事ですね。
今日はバイトの日。
「3月10日、今日は何の日 ?」と言うのを中学二年生の子供たちに振ってみましたが、誰も答えられませんでした。
仕事柄、単なるトレビアで終わらせるわけには行きません。社会科のなんたらかんたらと、話は続いたわけですが、悲しい事に「3.11」があるから「3.10」は覚えやすくなってしまったのです。
だけど終戦間近の日本で、どんなことがあったのか、その流れを覚える基準にもなるのだと、私は言いました。仕事柄、そこに結び付けなければいけないかなと思ったからですが、最後に本当に言いたかった事を言いました。
「これは、もうあなたたちのおばあさんの時代ではなくて、その前のひいおばあさんの時代にあった事です。その時、そんな大変な事があったのですよ。覚えておきましょうね。」と。
☆ ☆ ☆
記事タイトルを「日記」と書いたので。
今日、お友達とランチ。
お食事は美味しくて、お店の雰囲気も良かったのですが、珈琲が「どうしたのかな」と思うくらい美味しくなかったのが残念でした。
またお友達の終わりのない孫の話攻撃で、私は心がドヨヨーンと重くなり、その帰りに星子さんの家に寄り、美味しい珈琲とお喋りでいろいろと復活させて帰ってきました。
最後の珈琲が美味しいって、大事な事だと思います。
東京大空襲から75年の今日は。マンションのサークルに二つ参加しています。ひとつはマンションの花壇にお花を咲かせるグループ。ずっとやっていた園芸のグループが止めてしまうと言うので、マンションの敷地が草ボーボー......