11月5日(日)に見てきました。
1ミリたりとも可愛らしくもなく、邪悪なだけのゴジラを私は堪能しました。
はっきり言って聖獣、神獣扱いのゴジラは、私にとってはイマイチなのです。
それでも敢えて言うのなら「破壊神」でしょうか。
「ゴジラ」と言うのは、今では映画の一つのジャンルらしいですね。
内容はともかく、そのジャンルが好きだから、とりあえず見に行かれる「ゴジラジャンルファン」の方も多数いらっしゃるみたいです。
最近の私は、ちょっとそんな感じです。
ゴジラ映画を見るたびに、同じ話を繰り返して言っているわけですが、私と同じ年代の人は、たぶん「ゴジラ」を見る順番が間違えていたと思うのです。
子供のアイドルになってしまう要素が多数あったモスラ。きっとゴジラよりも先にそちらを見て、そしてその仲間としてゴジラの存在があったような気がします。中学の時にテレビで一番最初の「ゴジラ」を見るまでは。
私も小学生の頃はアイドルとして彼を見ていました。子育てしたりシェーをしたり・・・・。
だけど余りの子供だましで、お別れしたのです。
さすがにその数年後にはアイドルから脱却したゴジラが大暴れするようになっていましたが、大人になった私には、何度でも街にやってきては、これ見よがしに街を破壊していく彼に怒りすら感じてしまいました。
なぜなら破壊された街の経済的損失が数字になって脳裏を駆け巡り、これでは別の意味の日本沈没だと思われたからでした。
ゴジラによって街が破壊されるシーンは、ある種の見所です。
だけどある時まで受け付けませんでした。
つまりそれは私のゴジラ映画の卒業を意味しているのだと思いました。
が、ある時から舞い戻ってきました。
ハリウッド版の「ゴジラ」が引き金だったかもしれないし、または「シン・ゴジラ」がそれだったかもしれません。
アメリカの街が破壊されても、まったくリアルに感じないし、3.11以降の街壊滅は、違った意味合いを感じたからかもしれません。
でもやっぱり私は、1954年、私が生まれる前に作られた1作品目の「ゴジラ」愛が一番の理由だと思います。
その作品から70周年、凄くないですか。今だに日本以外の人にも愛されて一つのジャンルを作ってしまった作品だったのですよね。
そしてゴジラ映画としては通算30作品目のこの作品は、ある意味記念の作品だと思うのですが、それにふさわしい作品になったと思いました。
ゴジラ映画なのに、私はちょっと涙が出ました。
自分たちの戦争を終わらせようとしている男たちに。そして失ったものを嘆きつつも必死で生きようとしている女たちに。
特攻隊崩れの主人公は情けない男に感じました。でも私は写真でしか知らない祖父の事を思い出していました。せっかく戦争から生きて帰ってきたのに、自分の中の戦争を終わらせることが出来なくて、北海道まで流れていきひとりで死んだ私の祖父でした。
きっと祖父も戦場で「理不尽」と言うゴジラのようなものと闘っていたのかもしれません。
そしてこれは自衛隊が存在しない時代のゴジラです。
だけどあの音楽が、あるところでかかり、しかも音がなんていうかシャープなのに太い、そんな感じがしました。
ワクワクしますよね。おなじみの音楽には。
武器も満足ではないそんな時代の戦いに、男たちは知恵を絞り向き合います。
だけどきっとスクリーン前で、「無理だろ、それは。」と思っていた方は多いかと思います(笑)
徐々にネタバレになってきてしまいましたので、画像の下に遠慮なくネタバレ感想を書きたいと思います。
とりあえずネタバレの無い感想をまとめると、ゴジラは人類の愚かさと悪の化身だと思います。つまり水爆実験がもたらした突然変異の悪魔です。
たぶんどこかの南国の島の深海で、前世紀の生き残りとしてじっと暮らしていたのでしょう。極まれに地上に上がって来ては、何もない島の森を歩き島民の伝説になりながら。その段階で、相当怖いと思います。
それを更に人類が自らの手で変えてしまったのです。
だけど島民の伝説の段階から、また進化したゴジラにしても、何かの比喩のような気がするのは私だけではないと思います。
またなぜ彼は、何の意味があって日本を目指しやって来るのか ?
一回来て、もうそこが自分のテリトリーになったからと言う説明・・・・・まあ、納得するしかないけれど、本当はゴジラ映画を愛する人たちはけっこう自己解釈が出来ているのではないかと思います。
つまり彼はいきなり意味もなくやって来る。そしてすべてを奪うのです。
だから恐ろしいのです。
理不尽の塊です。戦争がそうであったように。
ネタバレしています。
もうこの人がいれば大丈夫と言うような科学者が出てこない「ゴジラ」。なんとか水際で頑張ってくれていた自衛隊がいない「ゴジラ」。
まるでゴジラの正体が分かっていないし、解明しようともしない「ゴジラ」。
言っては何だけれど、あの「わだつみ作戦」でしたっけ、あれを聞いた時、ダメだと思いましたよね。
浮かんできた深海魚たちは、いったいどのくらいの水深の魚たちなのって思いませんでしたか。いきなり沈ませて、いきなり浮上させる。海の圧力で殺すというわけだけれど、何もわかっていないゴジラ相手に、その考えは無謀だったと思います。ゴジラがどのくらいの水深の所から、どのくらいのスピードで浮上してきているのかを知って居ての作戦じゃないわけですから。
だけどこの作戦は野暮ったくて、逆に終戦直後の何もない時代の知恵を絞りあったものとして、それらしくて良いなと私は思いました。
細かい事を言うと、確かに突っ込みどころはあるのです。
だけど映画って、すべてが完璧だから評価するってものじゃないと思うのです。
この作戦の一番の良いところは「誰も死なせない作戦」なんですよね。
その発想こそが、フィクションだと私はつい思ってしまいました。日本は未だに命の軽い国だと思いますから。
それでもその物語に感動しました。
だから敷島(神木隆之介)はきっと助かると思いました。
更にはもしかしたら大石典子(浜辺美波)すら生きているのではないかと、その作戦を聞いた時に思いました。
と、思ったら、まさにその通りでしたね。
あんなに爆風ですっ飛んで行ったのに、いったいどうやって助かったというのでしょうか。
群衆の中にいた橋爪功が助けたというのでしょうか?(いましたよね !? )
再会した時、「あれっ、思ったより怪我が軽そうだな。」と思いませんでしたか?
でもとりあえずは二人は再会し、アキコと三人で暮らしていけるんだ。ゴジラも一応死んだし・・・・
あ~、めでたしめでたし・・・・・
一応、私はそう思い、「良かった、良かった。」にしておこうと思いました。疲れるから(笑)
実はなにげに「めでたしめでたし」と言う感じではないですね。
敷島は銀座で黒い雨に打たれながら、典子を失った憎しみに悶えました。とてもこの先何事もなく無事とは思えません。
典子は典子で首に何か黒い痣がありました。
何だろう、アレ ?
と、思いましたよね。思わず「大石典子、首の謎の痣」で検索してしまいましたよ。
やっぱりG細胞じゃないかって。
あーあーあー、もしかしたら再生したのかな、彼女・・・・。
そして海の中でも、ゴジラの肉片はうごめいて・・・・・・。
これは海外式(最近は日本でもそうだよね。)エンドレスホラーの様相になってしまったような気がしました。
心の中でうわぁと言って終わりました。
頭の中にあの音楽が鳴り響きながら・・・。
アッ、ちょっと待て!!
海からゴジラの肉片を拾い集めてだね、その再生能力を研究するのだ !
たった今閃きました。
悪の化身であっても、それさえも利用する、それが生物の頂点に立つ人間の悪であり本質なんだと思います。
しかしそれは両刃の剣でしょうか。肉片からゴジラが再生してしまったら・・・。
だからだね、最初から育て上げ人類が手なずけたゴジラを作るのですよ。
そして次回作は「ゴジラvsジゴラ」、なんちゃって。
妄想が激しくなってきたので終了ですが、あと一つだけ言わせていただくと、アメリカが不介入の理由は少々苦しかったですね。
あの誘導がきくのなら、手なずけられなくても、隣の半島に連れて行っちゃう。
あの後起きた代理戦争は、簡単に終結しちゃったと思います‥‥って、なんてことを言うのでしょう。でも不介入はないな、やっぱり。
いや、別にいいけれど。
ついつい好きすぎていろいろな事を言ってしまいましたが、これは作った方たちの作品なので、当たり前のことだけれどそのまま受け入れます。そしてさっきも言いましたが、好きです、この「ゴジラ」♪
→ゴジラ−1.0 : 作品情報 - 映画.com (eiga.com)
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(『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の感想です。)