3月6日は、今日と同じの雨でしかも久し振りの大雨でした。でも私は一日中家の中、私の子供達も家の中。 本当なら少々の風の音も心地良く聞こえてくることもあったりします。でもその日は我が家に子供達がやってくる日です。そんな日の大雨は嫌なものです。
風の強い日も大雨の日も、余程でない限り彼らは頑張ってやってきます。どんなに途中が大変でも部屋に入れば普通の顔、その大変さもあまり伝わってきません。
でも私にはわかります。なぜなら私は彼らと同じ経験をしながら今という年齢にたどり着いた大人だからです。また、彼らと同じような思いを自分の子供達にもさせながら育てた者だからです。
こんな日はいつもより気を使い、来た時にも褒めて、帰るときにも声をかけます。ニコニコしながらまた雨の中をかえって行く子供達。そんなこともいつか思い出になって行くのでしょうか。
ところで、上の写真は先日の夕方散歩した時のものですが、なんとなくユーモラスなのでシャッターを押しました。が、ふと
「ああ、聞き耳頭巾が欲しいわね。」と思った途端、思い出しました。同じことを同じ場所で、私は思ったことがあるんじゃないかと。家に帰ってブログで探しました。ありましたね。
小雨の中で→ここ
「聞き耳頭巾」のことまでまるっきり同じじゃない。成長ないよな、私。
でも、ちょっと不思議です。この二匹の雄は親子ではなかったのでしょうか。
それとも私の目には同じに見えても、やはりつがいと新しい子供なのかもしれません。
同じように見えても実は違っている。それは子供の成長もそうですが、私自身も違います。この歳になってくると、昨日と違うと言うと、「老い」とか「衰え」がテーマになりがちですが、そうとばかりはいえないと思うのです。確かにそれは一番に感じます。
子供達が、昨日出来なかった事が今日は出来るようになる事の逆が、年齢加算によりやってくるのです。昨日出来たことが、今日は出来ない。昔なら一日30人の子供がやってきてもぜんぜん元気でいた私は、今は20人帰っていったら、疲労で立ち上がれません。
その今の現状を知ることはとても大切なことなのかと思います。
でも、過ぎていく日々は下る坂道ばかりではありません。
雨の音を聴きながら、その音がまるで自分の声の伴奏のように聞こえてきました。その時、ふと私は思いました。
いつから私は子供達にこんなに優しく話すようになったのかしら。いつからこんなに淀みなく対処が出来るようになったのかしら。知らず知らずのうちに変わってきたのです。
失ってしまうことばかりを嘆くことはないですね。いつだって、Hello とGood-bye の繰り返し。今日出会うことに感謝して、明日別れるものにも頭を垂れる。そんな気持ちを忘れたくないなと思います。
バイバイ・・・