森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

紫陽花とー。

2016-06-05 16:52:35 | 梢は歌う(日記)

 

まだまだ皆様のお庭の薔薇は綺麗に咲き誇っていて、街を歩いていてもそれらの花々が目に止まり楽しませてくれています。それに加えて、紫陽花の花が咲き始めました。ひっそりとしていながら、それでいて艶やか。紫陽花にはまた格別な美しさを感じますね。

 

ところで、北海道の子供は本当にいくつもの「たまたま」と偶然が重なって、最悪のシナリオにならなくて奇跡の物語になって良かったと心から思います。

子育て最中には親はいくつもの失敗をしながら試行錯誤を繰り返して、何とか最善の道を辿ろうとします。ちゃんと子供たちを育て上げたと思っても、自分の過去を振り返ると私なども悔いの想いで胸が押しつぶされそうになることがあるのです。だからこの少年のご両親には何も言うことはありません。

だけどこの事はいくつもの教訓を残し、そこはちゃんと記憶と記録に残した方が良い事もあって、関係各位はちゃんと検証などをやってるのではないでしょうか。

 

私自信も少々の思うことがあったので、自分の為にもまとめておこうと思いました。

少年が見つかったと言う速報を見てから、私は普通にいつもの習慣としてツイッターを開きました。

そこで目にしたのは、少年が無事に見つかった事で、それまで少年の親に対して最悪の疑惑を向けていた人に対しての批判でした。

たまたま、私のタイムラインには、まだ何もわかっていないのにそのような無責任な事を書きこんでいる方は居なかったし、読者登録しているブログの管理人様たちの間にもいらっしゃらなかったので、「まさか」と言う思いと「そうだろうな。」と言う思いが同時にしました。

確かにまだ何もわかっていない段階で不用意に書き込むなんて迂闊すぎます。

でも見つかったと分かった途端に、その迂闊だった人たちを弾劾するのも何か違うような気がしたのです。だけどそこを私が批判したとしたらくだらない批判の連鎖になりかねません。

ただ発言することを生業にしているような人が、何も現場にも行きもしないで取材もなく、思った事を感覚でブログなどにいい加減な事を書きこんでいた場合は、批判されるに値する行為だと思いますけれどね。あと見切りで書き込む週刊誌とかも。

 

普通の人が迂闊に書き込んでしまうのは、ネットでの会話が近所の立ち話レベルの気軽なものになってしまっている部分があるからだと思うのですが、これからはますます気を付けていかなければならない部分なのではないかと思います。

 

だけどここからが私の思った事です。

お父さんのへ疑惑の想いは、ネットをやらない人たちの間にも湧きおこっていて、奥様ランチの場では会話に上がってきました。

そう言う人たちが書きこまないのは、それはパソコンなど全く出来ないからにほかなりません。

言う人と書き込む人は同罪かという疑問を感じました。また思ってるけれど言わない人はどうなのかと言うことも。

これはかなり難しい問題なのではないでしょうか。

やはり何もわからないうちは、人を貶めるような事を言わないに限りますよね。出した言葉は消えはしませんから。だけど思うことは逆に止めてはいけないんじゃないかと思うのです。

おかしいな。これ、変じゃない?

そう感じたことは、いろいろと考える習慣を放棄してはいけないと思うんです。

何も関係のない人たちが探偵気取りになることはないと言う意見もどこかで見かけたかも。

でもそれも違うんじゃないかと思うのです。興味を持つとか、まったく関係ない者が心配すると言うことは、時にはオロオロとただ行方を見守ると言うことではないからですし、何でも上品に結果待ちで物事を考えるような人になっていると、指示待ち人間の集合体にもなりかねません。

 

では今回の事で、何で多くの人が誤った疑惑を持ってしまったのかと言うことですが、それは切り取られた与えられた情報だけで判断をせざるを得なかったからだと思うのです。

ニュースでは、近辺の建物を捜索したと言いました。捜索範囲も徐々にキロ数が増えました。最後はローラー作戦で捜索したのです。場所は北海道で夜は5度まで落ちる日もあり雨も降りました。誰もが早く見つかればと思いながら、泣いていた子供がパニックになって、どこかの沢で土まみれでしかもびしょぬれになった姿で見つかってしまうのか、それともどこかの木の根元で低体温症、つまり凍死で眠るような姿の少年を見つけてしまうのかと気持ちもざわついて来た頃になっても、少年は見つかりません。

そうなると人は事件なのではないかと、流れで考えてしまったと思うのです。

私も考えました。

父親は5分走って、そこから車から出て歩いて戻って、姿が見えなくなった子供を探したと言いました。

5分と言う時間は、家でぼんやりしている時には何も出来ないような短い時間ですが、意外と長いのですよね。いろいろな場面で経験があると言う方は多いと思います。車での5分は、相当進みますよ。

それにこういう時の時間は、人は短めに感じるし短めに言ってしまうものなのではないですか。

本当はもっと走らせた可能性もあって、そこから歩いて戻ったとすると、かなり子供は道の真ん中でひとりだったと言えると思います。

すれ違った車はなかったのだろうか。

山の中で子供が一人で泣いていたら、足を止める大人も多いと思うし、保護したり電話したりとのアクションは起きないものだろうかと思ったからです。そしてこんなにも見つからないのは、その事件の可能性も考えるべきなんじゃないかと思ったのでした。

置き去りに連れ去り。そんなWの悲劇などあるものかとは思いますが、可能性は全部潰すのが普通ですよね。

でもそんな事を書きこんでしまったその日の夕方、まるで私のブログへのお返事のように、テレビのキャスターが言ったのです。

「この時に車とは二台すれ違いましたが、その二台は確認できており事件性はないと判断されています。」

そうですよね。考える事は皆同じ。ちゃんとやってくれているんです。

そして、恐ろしくも「捜索打ち切り」の言葉がとうとう出てしまいました。何かがオカシイと言う気持ちだけを残して。

 

が、奇跡は起きたんですよね。

子供は偶然発見されました。

 

そしてさながら後だしじゃんけんのように、

「両親が、子供は臆病なので山の方には行かないと思うと言った事を受けて、そちら側は探さなかった。見つかった建物は捜索対象外だった。」と言うことを知ったのです。

 

こういう場合、思いこんじゃだめだなと言うのも教訓ですよね。

そして、こんなに探したのに見つからないなんて何かがオカシイと感じたのは、それは切り取られ与えられた情報だけで判断をしていたからに他ならなかったからなんだと思い知らされたような気がしたのです。

こういう事は今までも、そしてこれからもたくさんあると思います。

日常の中にもそして大きな歴史の流れの中にも。

切り取られ与えられた情報だけでは判断しない。難しい事だけれど、心の片隅に留めておきたいと思います。

 

加えて、私自身もはやばやと「予感」とは続けましたが、一般的な常識だけの判断で「悲しみ」と言う言葉を使ってしまった事は、深く反省しています。

 

 

 

 

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4 コメント

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確かに (koumama)
2016-06-05 17:16:22
メディアを通じて
最後の方はほとんどお父さんに向けられていましたよね あんなに見つからないのはおかしい
色々憶測でかかれていました 一週間近くも見つからなかったからますますそれはエスカレートしていました
捜索打ちきりのニュースのあとすぐに見つかってほんとに良かった
置き去りにしたお父さんが物凄く悪者になってしまったけど
あんな山道にしつけで下ろしたのはいけないけど 人に石を投げた行為をしかるのは当然だからねえ
お父さんももちろん反省してると思うけど
息子君にこれからも悪いことは悪いと教えてあげるのは度を超さないかぎりはきちんとしてほしいと思うなあ
見切り発車のメディアにまどわされないよう
自分達も言葉の発信は気を付けなきゃと思います
返信する
奇跡です! (justyblu)
2016-06-06 08:21:11
本当に無事でよかったですね。

この数日、買い物に行っても、あちこちでその話をしている方達を見かけました。
悪い憶測をしていた方もいますが、多くの人が関心を持ち、少年の無事を願っていたようです。

子どもは、本当にどんなことをするか分かりません。
置き去りにしても、泣いて立ち尽くしていれば、すぐに見つかったでしょうが、
泣いて、パニックになって、方向違いの場所に走って行ってしまったのでしょうか。。。

大きな悪い偶然から始まって、多くの良い偶然が奇跡のように重なり、ぎりぎりのところで少年が無事助かって、本当に良かったです。

もし、我が子だったら・・・と、何度も考えさせられました。
もしかしたら・・・と、良いことも悪いこともしっかり考えて行動しなければならないと思いました。
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koumama様 (kiriy)
2016-06-06 12:48:36
こんにちは。
私も見つかった後のニュースでは腑に落ちない事がいっぱいあるなって思ったのが本音です。
お父さんは本当につらかったと思うんですよ。だから息子くんに謝っちゃった。
世間の人たちは「そうね」って思ったかもしれないけれど、私はちょっともやっとしました。ぎゅっと抱きしめて、死ぬほど心配したんだと伝われば良いし、多くの人たちが本当に一緒になって心配し、そして探してくれたことも伝えてあげて欲しい。
だけどどうしてこんなことになったのかと言う、一番最初の部分は、今、触れるのは難しくなっちゃったよね。
たった一人の恐怖の時間が長すぎて、心に深い影を落とさなければいいなって思うのですが・・・・

ああ、ややこしい。
子育ての基本はもっと単純に「ダメな事はダメ。」で行きたいものですよね。

そしてやっぱり私たちは
>見切り発車のメディアにまどわされないよう
自分達も言葉の発信は気を付けなきゃと思います

そこですよね♪。
返信する
justyblu様 (kiriy)
2016-06-06 13:14:09
子育て真っ最中のjustybluさん。
本当に我が子だったらと考えてしまいますよね。
私も自分が迷子になってしまった時の事を思い出したり、我が子が迷子になってしまった時の事を思い出したりしました。(そんな経験が、あるのよ、まったく~)
ちっちゃな子供って、本当に予想外の事をするのですよね。


お父さんには何も言わないと言いながら、コメント欄では結構言っちゃってるわけですが、お父さんは「やり過ぎてしまったんですよね。」と言いました。私はその時、どこの部分を指して「やり過ぎ」と言ってるのか、凄く大事な部分だと思いました。
私は、子供が視界から消えるまで車を走らせてしまった事が失敗だったなと思うのです。
時には子供には厳しく接しなければならない状況もあるし、そのおうちごとで考えて行かなくちゃならない事ってあって、そこは第三者が口出すところじゃないと思うんです。
ただ子供を守れる一番の人は親なので、そこは押さえてって思います。

>大きな悪い偶然から始まって、多くの良い偶然が奇跡のように重なり、ぎりぎりのところで少年が無事助かって、本当に良かったです。

ずれた事を言うようですが、この一言、素晴らしく綺麗にまとまっていますね^^
そして私も本当にそう思います♪

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