8月7日に観に行った「京都大火災編」の感想です。映画ブログ「近未来二番館」が現在諸々ありまして頓挫してますので、しばらくこちらで書こうと思います。
もちろん後編である「伝説の最後編」も見てきました。前後編で一つのお話にまとまっているので、一緒に感想を書こうか別に書こうか悩んでいるうちに日にちばかりが経っていくので、とりあえず別に書くことにしましたが、前後編で言いたいことは同じような気がしますので、前篇だけで感じたことを主に書いておきたいと思います。
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初日に観に行けなかったのですが、その間に入ってくる評判はすこぶる良いものばかりで期待値がガンガン上がりました。
そしてその期待は裏切られなかったのでした。
お芝居も映画も冒頭でどれだけ観ている者の心を掴むのか、それが問題だと思います。
力が入っていました。
恐ろしいシーンなのに、映像美を感じてしまったほどです。ちょうどこの映画を見ていた時でしょうか。「家族狩り」と言うドラマがあって、刑事などが、その犯行現場を不謹慎ながら「美しい~」と感じてしまった、それに近いと思います。
作り手の力の入れようが伝わってきました。
そのシーンと言うのは、火の海のような場所で捕まってしまった警官たちが吊るされて、志々雄と斎藤が対峙するところです。
〈シーン的ネタバレはしてますよ〉
既に時間がたちすぎているのでセリフなどは不正確極まりないので書きませんが、志々雄が齋藤にこちら側の人間になれと誘います。
血の戦いを経て新政府が作り上げたものは、所詮は理想のものとは程遠く結局は新たな権力争い、違った形の国盗りにほかならなかった・・・・なんてことは言ってなかったか。あっ、それ、もしかしたら私の考えかな?
時間をあの時に戻し、またその国盗りをしようと言うような趣旨の事を言ったような言わなかったような・・・・
その後が、あまりにもインパクトが強く恐ろしいシーンだったのでなんか忘れてしまったような気がします。
とにかくこっちゃ来いと言ったのよね。
もちろん、「はい、そうですね。」と斎藤が動くわけはないのですが、
この時志々雄、どんな気持ちで齋藤と対峙したのかと思ってしまいました。
「来るわけないや。」
でもせっかくだから楽しく〈志々雄的に〉遊んでやろう。
もしくは
「齋藤ならば、少しは心が動くかもしれぬ。」だったのか。
やっぱりどう考えても、斎藤があの状況で「うむ」と言うわけがないのですが、あっちこっちと言う前に彼らは全く同じ土俵の上に立っているなと、私は感じてしまいました。
返事次第では、人が死ぬ。分かっていながら、斎藤からはためらいが感じなかったのです。それは強さゆえか。
でも私には同族だからにしか感じないー。
同族なのに右と左に分かれてしまった。
そこにどうしようもない宿命と言うか運命があったから。
敵が強ければ強いほど、このような物語は面白くなると思います。
志々雄とその仲間たちはその強さは最強で、面白さを冒頭から約束されたようなものです。
その最初のシーンで、物語の内容とは全く関係はありませんが、「乾いて候」と言う物語のタイトルを思い出してしまいました。
ちょっと前にも「渇き」と言う映画を見ましたが、やっぱり時代劇なので「乾いて候」。
この映画の中には、そんな乾いている人たちがたくさん出てきました。
その中で剣心たちだけが違うと言う点を際立って感じました。
後は世間様のおっしゃる通り、殺陣が本当に面白いし凄いと思いました。
戦い方にみな個性があって、殺陣の監督は力を入れましたね。
神木君の宗次郎。もともと宗次郎は人気が高いのですが、あんなに低く走って剣をふるうなんて事が出来るんだなとすこぶる感心しました。
前篇の物語は、漫画・アニメで、そこまでは知っていました。
蒼紫には全く共鳴できないのですが、宗次郎といい、みんなあの幕末で半端ない出来事があり、そしてそれぞれの中の何かが壊れてしまったようです。もちろん志々雄も。
前篇のみの感想と書きましたが、書き出してみると、あれやこれやとシーンが浮かんできてしまいました。
〈今から、ちょっと実家に帰るので、またも時間切れになってきました。残りは来週に後編の感想と共に書こうと思います。〉
藤原君はずっと包帯男かと思ったら、綺麗な顔でちょっとだけ登場。
フフフと思った私。
では皆さん、ごきげんよう。